(3月)

(濱田兄)

 ある人から「浜田さんの職場は人間関係が大変でしょうね」と言われたことがありました。3か月前に入社した新人が、職場の先輩から「仕事をもっとやるように」と注文がありました。私はその後輩から相談を持ち掛けられました。1カ月前、彼女は「先輩の指導が厳しい」と言っていました。私が「我々も同じだよ」と言うと我慢しました。「濱田さんは先輩の指導に対してポジティブだからね」と言われました。私、昔は悪ガキでした。今は信仰を持ち耐えています。祈って仕事に出掛けています。新人に「先輩の指導が厳しいと上司に訴えれば、あなたにまた同じような人現れるよ。今のポジション以外の場所に移れと言われる。」と言いました。

 私は新人に「上司に相談はいつでも行ける。道は神が用意してくれるから心配しないで」と言いました。彼女はわたしの意見をどう受け止めるかですが、これからの私の行動を見て決めると思います。

(西澤姉)

 私が今、観たいと思っているドキュメンタリー映画の紹介をします。ハンセン療養所で生活している宮崎かずゑさんです。かずゑさんは両手足の指がない。右足は膝から切断してる。少女の頃からのいじめは辛かった。重傷者は汚いなどと爪はじきにされた。死にたいと思った彼女を支えたのは、読書と母だった。母だけが毎年2度3度来てくれた。かずゑさんは療養所で軽症の孝行さんと結婚した。彼が亡くなるまでケンカをしたことがなかった。彼女は78歳の時パソコンを覚え、84歳で自伝「長い道」を出版した。今、水彩画に挑戦中。かずゑさん「ちょっとだけうぬぼれを言わせてもらえば、ちゃんと生きて来たこと。」

 辛い思いをしながら「しっかり生きて来た」と言えること、大変素敵と思いました。信仰を持っているつもりですが、信仰持って生きていけたらと強く思います。

(斎藤姉)

 今週の20日は春の彼岸です。昨日、愛宕霊園に出掛け、森さんの霊に献花し祈りをしてきました。母が亡くなり20年以上経ちました。父から「2度と敷居をまたぐな、母の墓参りもするな」と言われ、墓に行けません。お墓は実家から5分と近いのですが。祖父母と母の弟の墓は松坂屋の裏にあり、墓参りして来ました。母と森さんのことを1日中思い出して過ごしました。墓参りもでき気持がスッキリし、晴れやかになりました。

 3月31日イースター復活祭、ここで礼拝できます。中嶋兄を偲ぶ会も計画され嬉しいです。中嶋兄と一緒にいた金浜さんも思い出します。2人仲良しで話が尽きなかった。今は、2人天国で仲良く話しているのでは、また、集会の人達を見守ってくれていると思う。私はこの集会に来て、元木ナカ子姉、たみ姉、中嶋兄、金浜兄と4人を天国へ送りました。天国で幸せに仲良くされているのではと思います。

(元木兄)

 私のキリスト教との出会いを話します。樺太生まれの私は航空隊司令部に配属され、1か月後に敗戦となりました。樺太派は日本とロシアの共同の国のようでした。日露戦争後、樺太は日本領土になり多くの日本人は樺太へ渡りました。敗戦後、樺太から日本へ引き揚げて来ました。就職のため北海道へ行きました。缶詰会社に就職しました。家が漁師でしたので蟹漁業権のある会社へ就職しました。23歳の頃、蟹工場で5年間働きました。会社の計画により清水に小さな工場を買い求め出かけて行き、私がその工場で働くことになりました。

 昭和33年頃アメリカ宣教師が大勢来日しました。ある日の夕方、アメリカ宣教師の路傍伝道を聴く機会がありました。会社の近くで毎晩宣教し、毎晩のように聴きました。そんなことがありグループの男子高校生徒達と仲良くなりました。私は宣教師の話を聞く世話役をするようになりました。子供とその親が集まり大勢参加しました。清水に教会堂が建てられキリスト教の仲間に入りました。

 現在、キリスト教に出会って70年、天国行きを夢見ています。