2019.9.8     使徒言行録6章     西澤 正文        

 テーマ:ステファノの顔はさながら天使のように見えた。(15節)

  ペトロ達は、イエスが処刑された後もイスラエルの街にとどまった。そのエルサレムの街で、復活されたイエスの教え、福音を説き、御業をなし続けた生涯をユダヤの人々に語り始めました。これはとても危険なことです。もしかしてイエスのように捕らえられ殺されるかもしれない恐怖心を抱えていたと思います。そんな恐れを越え、キリストの復活を証しされた。それは人間の意志ではできません。ペトロ達を動かしたのは聖霊でした。神殿と言えば、地方から多くの人たちが集まるところで、人々から注目される。そのような場所で、数日前に犯罪人として処刑されたイエスのことを宣べ伝えることは、危険が伴うことが想像される。しかし、ペトロはそのような危険や困難を思って恐れるのでなく、聖霊が促されるままに従いました。使徒たちは迫害を受けても聖霊の導きにより、イエスの証人となりました。それは、イエスの名のために辱めを受けるほどのものになったことを喜ぶ人間になった(5:41)ことからも理解できます。

 

復活したメシア・イエスに対する信仰を持つ兄弟姉妹の集団が教会として誕生しましたが、信仰を持つ弟子たちが増えると、やもめの食事が十分に配られなくなりました。教会生活に入る人たちは、家族との関係が切れることを覚悟したので、食事を確保することは死活問題でした。

 

日毎に多くの人が集まる教会にあって、役割分担をはっきりさせる必要が生じました。特に教会の働きとして、主の御言葉を取り次ぐことを優先しなければなりません。使徒はその役割を担いましたが、それ以外のいろいろな役割も担えば、本来の御言葉を語る事に専念できません。

そこで、使徒12人は、霊と知恵に満ちている七人を選び、その人たちに食事の世話をさました。その内の一人が、信仰と聖霊に満ちているステファノでした。

 

 

 

 

神の言葉は広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増え、祭司も大勢この信仰に入りました。それほどまでに、使徒たちの教えは、人々の心を捉えた。使徒たちの働きは、新しい風を巻き起した。

 

 ステファノは、恵み、力に満ち(8)、知恵と霊により語る(10)ので、他の人々は太刀打ちできませんでした。「解放された奴隷の会堂」に属する人たちは、ステファノに太刀打ちできないとわかると、人々を唆し、「神を冒涜する言葉を聞いた」と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動し、偽証人を立てて最高法院に訴えました。

 

この男はこう言っています。「イエスは、エルサレムの街を統治する大切な最高法院の場所を破壊し、モーセが伝承した慣習を変えるだろう」と。これは、イエスを十字架に架けた時と同じ手法でした。(マタイ26:59-61)

 

 法廷に立たされたステファノは、「さながら天使の顔のよう」(15)に見えました。天使と言えば、神の意志を伝え導くための使者です。すがすがしい顔、清らかで清潔感に満ちた顔、柔和で明るく一点の陰りもない顔、と想像することが出来ます。ステファノは霊と知恵に満ち、人々の評判が良く(3)、信仰と聖霊に満ち(5)、恵みと力に満ち、不思議な業、しるしを行う(8)人でした。

 

■まとめとして  

今日のテーマ:「ステファノはさながら天使の顔のよう」とは、穏やかな顔の表情、全身から発する耀きは、その人の信仰そのものを表していると思います。ステファノは、どんな時でも、仰ぐべき十字架に架かったイエスの姿を見詰めながら生活していた人でしょう。 

私も、ステファノに倣い、仰ぎ見るべきものをしっかり仰ぎ見て生活したいと願います。