鹿児島伝道集会          6月30日    

西澤 正文(静岡) 

パウロの召命-ガラテヤの信徒への手紙1章を中心に-

  梅雨前線の影響で、鹿児島滞在2日間は雨降りでした。29日土曜の夕方、いちき串木野市の後藤兄の自宅にて、5人による小集会を開きました。 

イエスが十字架に架かる直前に受けられた酷い屈辱を思い起こせば、私達はどんな困難にも耐えられること、私の近所に住むハンディがありながら笑顔を絶やさず作業所に通う青年と時々会うだけで、心が和み幸せ気分に包まれること、この2つを話しました。講話後、初対面でありながらそれぞれ抱えた悩みについて、心開き話し合えたのは、信仰による信頼によるもので、キリスト者の喜び、恵みを分かち合う時となりました。 

 翌30日の「第3回鹿児島伝道集会」には、7名の兄弟姉妹が集められ拝を持ちました。遠く宮崎市から、年明け早々召された外山幹夫兄の奥様と兄の妹の姿もあり、今年も共に礼拝ができることを喜び合いました。今回、「パウロの召命-ガラテヤの信徒への手紙1章を中心に-」と題し話しました。 

手紙の冒頭は、「無教会主義の精神」と言われるところで、パウロの信徒への熱い思い、自身の使徒として召された固い決意が込められ、私自身、強く迫るものがあり、今回のテーマに決めました。 

 「人々から出もなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」(ガラテヤ1:1)、この神と私の1対1の関係は、信仰の基本形です。パウロの他の手紙の挨拶は、穏やかな気持ちが現れているのに、ガラテヤ書は、異なります。以前訪問の折、パウロ自らの手で教会を誕生させた信者たちが、割礼を受けなければ義とされないという教えに惑わされ、離れていく現状に怒りを示しているからです。この厳しい挨拶は、ガラテヤの信徒への愛情の裏返しです。 

 パウロの力み、怒りの背後に、人には言えない二つのハンディがありました。一つは、イエスの直弟子ではないこと、もう一つは、生前のイエスにお会いしていないことです。このハンディにより、いつも人々から軽く見られたことを感じていたのです。心の内に自分ではどうにもならないものが、顔をのぞかせでいたことでしょう。それ故に、ダマスコ途上で、突然、天から視力を失うほどの強い光を浴び「サウロよ、サウロよ」と声をかけられたパウロが、復活のイエスにお会いし、回心に導かれた出来事は、後のパウロを支える唯一無二の拠所となったのです。 

回心後、パウロは表舞台から身を引きました。普通なら、イエスの弟子たちがいるエルサレム教会へ直ちに向い、親しく交わる中で、イエスの教えや福音について、また、これからの伝道活動のため、先輩達の話を伺い、参考にするでしょう。しかし、エルサレムに上らず、一旦アラビアに退き、その後ダマスコに戻り3年滞在し、その後初めてエルサレムに行きケファ(ペテロ)に会い、15日間滞在しました。その間、サウロの命を狙うユダヤ人が現れ、難を逃れるため、生まれ故郷のキリキアのタルソスへ向かいました。そこで14年間もの長い間、過ごしたのです。14年間と言う長い間、郷里タルソスに帰り、神のみ旨をじっくりと自問自答しつつ、確かなものとしました。 

 

 

大事な仕事を前にした人は、「充電期間」と称し、表舞台からいったん身を引くことがよくあります。パウロも同様で、主の御心をしっかりと受け止めるため、表舞台から身を引く道を選ばれたのです。この時「母の胎内にある時から選び分けられ、恵みにより選び出された」(1:15)ことを確認したのではないでしょうか。 

■むすびにかえて 

(1)ヨハネ福音書の最後に、復活したイエスとペトロの会話があります。復活されたイエス「わたしを愛するか」、ペトロ「はい、あなたがご存じです」、この会話を3回繰り返した後、弟子のヨハネがついて来るのを見たペトロが、「この人はどうなりますか」と尋ねると、「あなたに何の関係があるのか、わたしに従いなさい」とたしなめられた。ここでも信仰の基本形は、「神とあなた」の11であることが示されています。 

(2)パウロは、使徒言行録中3度、回心した様子を語っています。このことからも、回心の出来事が、如何に貴い体験であるかを示しています。私達も人それぞれ、神との出会いがあります。神との出会いを通し、神が私を用いて何をされたか、神の御業を、多くの人に語り、信仰の恵みを分かち合いたい。また一人でも多くの人が新しく信仰に導かれるよう祈りたい、と願っています。 

 

-出席者 感話・自己紹介- 

・遠くからいらして頂き感謝。私は退職組で、現在、内村の書物の点訳ボランティアをしている。時間を忘れて取り組んでいます。(三浦兄) 

・直接神の前に出ることの大切さを再認識。神は私を愛してくださっているので、祈らなくてもいいと思っていました。今後反省し生涯、信仰を持ち続けたい。(牧姉)

 ・複数の中の一人出なく、11になり、罪深い私である

  が、砕かれた心、純粋な気持ちで神と向き合いたい、信

  仰生活を送りたいと思います。(古川姉)  

・牧さんと2010年に出会う。願いが叶わない思いもありましたが、振り返ると素晴らしい導きがありました。その間、苦しみなど多くありましたが、思えば全て栄養となり、準備期間であったように思う。(古川兄)  

・兄から2年前、「鹿児島へ一緒に行かないか」と言われました。物心ついた時、母が聖書を勉強していて、聖書は当たり前の生活でした。日本人が寺、神社に行く感覚で聖書を勉強しました。信仰が本当に分かったのは学生時代でした。色々な仕事に従事し、毎週、集会に出席することが当り前で、父母が無くなり、兄が無くなり、今、やっと神と1対1、信仰がやっとわかり感謝です。(外山姉) 

・夫と結婚後、信仰に導かれました。夫は結婚する時から体が弱い人と紹介されたが、本人なりに精いっぱい生きました。年末に喀血し、「神様助けてください」と2回言って召されました。こんなに早く別れが来るのか…と苦しみました。私の我がままが夫の命を締めたかも…。罪に向き合わざるを得ず、罪を示されました。夫は神に向かいひたすら歩みました。私は夫が示された道しるべを歩めばよいと思っています。(外山姉)