マタイによる福音書18:1-14       2015.7.26

西澤 正文

テーマ:小さな者が一人でも滅びることは…父の御心ではない。(14)

   「小さな者」とは、どんな人を指しているのでしょうか。幼児や子供だけでなく社会の弱者全てを指しています。小さくて弱い者とは、青年でも、大人でも、お年寄りでも、特別な配慮を必要とする人達です。

   経済を重視する現代社会にあって、生産性、効率性に価値が置かれ、頭の良い人、個性

のある人、強い人、自己主張できる人…要は競争社会の中で勝ち抜く能力、気力、体力のある人が重要視され、時代が要求する尺度から漏れる人は、自ずと社会の隅に押しやらてれしまう。そのような人を「小さな者」を言っています。

   その中でも、身体、知的、精神的に障害のある人たちは、「最も」小さな者です。周りの人たちの支えがなければ、一人では自立した生活ができない人々です。しかし、人間社会は如何に科学技術が進もうと、障害のある人の占める割合は減ることなく一定です。

   これは何を物語っているのでしょうか。神様は、御自身の意志により、常にこの世に障害児

 

 

者を送り出し、競争社会にブレーキを掛け、上ばかり見ず、支援を必要とする人を社会に送り出していると思えてなりません。「小さな者」の存在の果たす役割は、社会全体、世界全体に、一息つかせ、自分中心の狭い世界だけでなく、広い世界に目を向けさせ、協力し合い、助け合い生きて行くことの大切さ、本当の幸せを探し求める真理を常に提供され、「隣人と共に生きなさい」のメッセージを送っているのではないでしょうか。

  「迷える羊」の特徴は、おとなしい、弱い、愚か、群れる、道に迷いやすいと言えます。人に例えれば、社会のお荷物と見られるでしょう。現代の迷える羊は、親の虐待、仲間や先生からのいじめ、不登校、ニート(就学・就労できない人)、職業訓練も受けていない若者、引きこもり、非正規労働者・派遣社員、心の病(ストレス、うつ、自律神経失調症、パニック障害等)を抱えた人、認知症の人達でしょう。 

▢むすびとして

    自分自身もこの世では迷える羊であるとの自覚を持って、その痛身を感じながら現代の迷える人たちに手を差し出したいと思います。