11章1-30     2019.11.10
テーマ:神は私たちに与えてくださった同じ賜物を異邦人たちにお与えになった。(17)
 エルサレムにいる使徒たちとユダヤ教を信じる人々は、10章で登場した異邦人であるコルネリウスの親類、友人たちが神を信じたことを知った。そしてペトロがエルサレムに戻って来た時、ユダヤ教信者たちは、ペトロを非難した。「割礼を受けていない異邦人たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。
 その非難の言葉を聞いたペトロは、ことの経過を順序立て、正しく分かりやすく説明した。その内容が5-14節で、前章9-22と同じ内容である。ペトロは、「我を忘れたようになって幻を見た」(5)と説明された。ペトロは、コルネリウスのようにはっきりと見たのではなく、夢を見ているような気持ちよい感覚、通常で無い状態で見た。自分の意志がどうのこうのと言った世界でなく一方的に受け止める世界であり、その中から示された指示に従って行動された。夢心地であるからどうでもいい、そう思って意に介さず忘れてしまうこともできるが、ペトロはその逆で、その状態で見た幻を大事にされた。このことはペトロの偉大さを表していると思う。

 その幻の指示に従うと、五旬節の日に突然、激しい風が吹き、天から音が鳴った時、一同の人々が聖霊に満たされた。(2:1-4)この時のように彼らの上にも注がれた。(15) このように、神は異邦人へ私たちの同じ賜物をお与えになった。異邦人も同じ賜物を頂いたのに、私が神の為さることをどうして妨げられようか? 決してできるものではありません。(17) 
 

 


 

 神は、聖書の初めに「信仰の父」といわれるアブラハムに約束された時、すべての民に祝福を約束している。「地上の氏族はすべて あなた(アブラム)によって祝福に入る。」創12:3 P15 「アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。」同18:18 P24
 以上のことをペトロは、順序正しく分かりやすく説明された。このペトロの説明を最初から最後まで「静まり」(18)聞いていた人たちは、率直に「神は異邦人をも悔い改めさせ、命をお与えになった」ことを理解し、アーメンの気持ちで神を賛美された。
 最後まで、耳を傾け、静かに集中して聞くことの大切さを教えられる。正しく事実を知り、異邦人も悔い改め命を与えられたことをエルサレムのユダヤ教信者も喜ばれた。人として大変嬉しいことです。これが、健全な人間社会のあるべき理想の姿であると思う。
 選民ユダヤ人だけの神でない、律法のない割礼のない異邦人であっても信じれば、神の救いに預かることを私達に示している。
▢むすびとして
    静かに最後まで耳を傾け相手の話を聞くことの大切さ、また話す人も聞く人が理解しやすいように順序立てて話すことに大切さを教えられる。更にユダヤ人は当初、割礼のない異邦人と共に食事することはとても許せない、と言った固定観念に縛られず、神の賜物であること理解し受け止め、神を賛美されたことは、人間社会は捨てたものでない、真理であれば分かり合えることを示している。