ルカによる福音書2章                     2018.2.18 
 1章では、洗礼者・ヨハネとイエス二人の誕生の予告、そしてヨハネの誕生の様子が伝えられた。この2章に入り、イエス誕生の様子と羊飼いに誕生が告げられたこと、そして律法に従ってイエスを神殿に献げられた時の様子やイエスが十二歳の時、過越祭でエルサレム滞在中、神殿での様子が描かれている。ここではイエス誕生が、羊飼いに告げられた様子について記したい。

テーマ:主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか(15)
 イエスの誕生が最初に告げられたのは、羊飼いたちであった。 羊飼いは、自然を相手に過酷な環境の中で羊を育てる。その羊飼いに、いの一番に、イエス誕生が告げられた。ここに大きな意味がある。
    羊飼いの職業は、厳しい自然の中での過酷な作業のため、この世では貧しい人達の仕事とみられていた。この羊飼いたちに、イエスが誕生されたことが告げられたこと、これはイエスがこの世では顧みられない小さな人を大切にされる、という予告でもあった。併せて、イエスの産声を上げた場所が飼い葉桶の中であったことも、この世では、イエス自身の居場所のない将来を暗示していると言える。一般的には、赤子の誕生は、温かな部屋、大勢の人々に祝福される中でなされるが、イエスの誕生が飼い葉桶であった事は、その後の地上での生活を暗示していた。 
    ここで羊飼いについて、少し考えてみたい。遊牧民族であるイスラエルの民は、飼育の苦労が絶えない牛や羊などの牧畜を仕事としていた。羊飼いは、水の確保の争い、野獣からの保護、強盗等から身を挺して守ることを仕事とした。イエスも羊飼いに譬えられた。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。…羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」(ヨハネ10:11、16) 羊の特徴は、優しい、従順、おとなしいどうぶつである。また、無防備であり、いつも監督する人を必要とした。だから、羊飼いと羊の間の密接な関係が、神と人間の関係に用いられた。羊は、羊飼いがいて、青草が茂る憩いの草原で安心して生活することが出来る。人間も神がおられて、はじめてこの世において、心配することなく神に全てを委ね、安心して生活が出来るのである。
    人類の罪の歴史からの救済の出来事として、イエスの十字架の死による人類の救済は、真に「羊(人類)のために命を捨てる羊飼い(イエス)」と同じである。イエス誕生が、最初に羊飼いに告げられたのは、過酷な自然界の中で、諸々の外敵から命を賭けて羊を守る弱い羊を導く姿にイエスを重ね合わせ、イエスの将来を予告したものであろう。
    羊飼いは、早速、天使から告げられた救主・イエスの誕生を見るため、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」(15)と、ベツレヘムに向かい、イエスを発見した。
羊飼いは、即行動に移したのであった。驚きが、天使から告げられたことを確かめたいと、実行に移され、そして見たことを人々に告げられた。ここに、羊飼いの誠実であり真面目な姿をうかがうことが出来る。
    天使に託された神の御言葉「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(10節)を聞いた羊飼いは、素直に、また、直ぐに反応し、ベツレヘムへ向かった この羊飼いの様な、神の御言葉に向き合う人の誠実な姿は、全てのキリスト者の手本である。
🔲まとめとして 
  天使を通し、神の御言葉「ダビデの町・ベツレヘムにイエス誕生」(10)の告知、その知らせを一番初めに耳にした羊飼いの言葉「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」(15)が記されている。
 この羊飼いの主の言葉への反応の速さ、誠実、素直さの態度を学びたい。過酷な仕事に就く人の謙虚な姿に心打たれる。山上の説教で最初に言われたイエスの言葉、「心の貧しき人は幸いである、天国はその人たちのものである」の、心の貧しき人とは、羊飼いのことではないだろうか。羊飼いたちのこの世の持物は、羊たちだけである。あとは何もない。余分な持ち物のない人は、主の言葉に集中できる。貧しい羊飼いのように、主の御言葉が、スーと耳に入る生活環境、つまり、この世の持ち物を少なくし、心が常に主に向けることが出来る生活環境を整えることの大切さを教えられる。