ルカ9:1-36                    2018.6.17
テーマ:イエスが言われた「わたしを何者だと言うのか」 ペトロが答えた「神からのメシアです」20
 10節から5千人に食べ物を与える奇跡が描かれています。この奇跡は、多くの奇跡の中でも最も重要な奇跡といわれ、四福音書すべてに登場します。四福音書に登場する奇跡は、このパンの奇跡だけです。いかに大切な奇跡かがわかります。しかし、私の経験からしても、不可解であり、躓きやすい奇跡です。弟子たちの「群衆を解散させてください。…周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。」と、イエスに提案されたことは当然と思います。私は、聖書を読み始めた当初、一食位食べなくても、家に帰って食べればよい、と思いました。
 イエスは、パン、魚を手に取り、神に賛美の祈りをささげています。神にお願いしました。この何気ない祈りの行動がとても大切に思います。神にお願いし奇跡を起こしていただいたのです。
 イエスは、神のひとり子としてこの世に生まれました。一度召され、三日後に復活されましたが、このイエスの地上での歩みは、全て神の御計画です。神にとり、五千人の食べ物の用意は大したことではありません。イエスがこの世から離れる前、これくらいの奇跡を起こすことは、可能です。そう思いますと、この不思議な奇跡もアーメンと言えます。
 大勢の人の前で奇跡を起こしたイエスは、一人静かな祈りの時を確保しました。そして傍らにいた弟子たち向かい「群衆は、私を何者と思うか」と、問いました。弟子たちは、「バプテスマのヨハネが生き返った」「エリヤが現れた」「昔の預言者が生き返った」と答えられました。
 その後、イエスは、一番知りたかった質問を弟子たちにお聞きしました。「あなた方はわたしを何者と思うか」と。ペトロが答えます、「神からのメシアです」と。このペトロの発言は、とても大切に思えてなりません。イエスは、神のひとり子として、紀元前4年頃この世に誕生されました。イエス誕生は天使を通し、羊飼いに告げられました。「今日ダビデも町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ2:11)
 イエスはこのペトロの答えを黙ってお聞きし、容認されました。預言者と同列でなく、預言者以上の神の子、キリスト・救い主であると認められました。 
 私たちも、ペトロのように「イエスはメシアです」と、口にしながら信仰生活を歩んでいきたいものです。
▢まとめとして
 私たちの現実の生活を思えば、自己中心であり、欲の塊であります。自分に固執しています。イエスの「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」この言葉が空しく響きます。自分の現実とイエスの言葉の間に、ギャップのあることを認めざるを得ません。祈りの中で、弱い私をもっと強く、強く導いてください、と叫び続けるしかありません。