2014年

6月

◎「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。」(フィリピの信徒への手紙3:17) 皆一緒に他の人々にも目を向けなさい、とのメッセージである。考えてみれば、この世は、現代は、あまりにも敵対者が多い。自分の腹を神とし、自分の力だけに頼り生きている人が多い。私たちキリストを信じる者は、この世でなく天国を、自分でなくまず神のことを考え、そして救い主の到来を待ちます。

  現在の社会を考えると、自殺者、心の病を抱えた人や正規雇用人口の増加、人口減少傾向、武装強化策の推進、世界の貧困国増加などが気になる。また、メディアが発達し、公共交通機関に乗るとスマートフォンを眺めている人が極めて多い。このような社会は、人と人の心の触れ合がなくなり、心の潤う機会・場所が減少し、孤独な生活となる。

  毎土曜日の21時BSテレビで「小さな村の物語・イタリア」が放映される。片田舎のちいさな村で生活する人々の様子、故郷を大切にし、村人が助け合い、小さな社会を形成している様子を伝える。都会から離れているため、豊かな自然に囲まれた中で、必ずと言っていいほど村の中に教会があり、共同施設、共有場所があり、その場所に頻繁に村人が集まり、明るく談笑したり、楽器演奏し歌ったり、ダンスしたりして過ごしている。

このテレビを見ていると、世の中、便利な生活が幸せばかりではないことを教えられる。 否、便利は不幸せですよ、の警告を伝えているようにも見受けられる。現代社会にみられる孤立した生活や自己中心的生き方、富の追及の傾向を反省させられる。 

◎今年も半年過ぎた。年明けの最初の週にベランダから転び、腰を痛めてしまった。腰の痛みが長引き、長時間の歩きが辛い。これも高齢のせいなのか‥‥。 自分にできないことすべて神にお願い。神の導き、助けをいただき、これからも過ごしたい。年老いてから何でも自分が、自分が、との思いを捨て、次世代の人にお任せしたい。 自分にできなくても、周りの人のために、祈りができたらいい。先週学んだ詩編88編、 ここは唯一、苦しみの中で神への助けを求め叫ぶが、普通、詩編は神への救いの嘆願、最後は神への憐みの感謝、賛美で終わるが、ここは最後まで困難で終わる。困難な中でも信仰を捨てない。

解説書の最後は、解決のない悩みで閉じる。信仰は幸福の実現だけではない。すべて神により守られ導かれている。神におぼえられ感謝を捧げる。最後までついていく。苦境の中にある信仰であり、「不信仰な私をお助けください」と。

神に見放されることがこの世で一番悲しいことである。「わが神、どうして私をお捨てになったのですか」 神はイエスを捨てない、救い主として私たちの近くにいらっしゃる。

  今の私、病気やこの世の心配はたくさんあるが、全て神に話し、神についていく信仰を求め

 ていきたい。

 7月

◎自分に何かあった時、都合の悪い時、神様いらっしゃるのか、と思う。しかし、自分に良い試みがあった時、神はやはり「おいでおいで」と言ってくださっていた、と思ってみたりする。私は単純で最後は神様のところに飛んでゆきたい、と思う。 

◎「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」(ペトロⅠ 1:8) イエス・キリストをこの目で見たことがないが、呼びかける時、この世にない喜びを感じる。神様、イエス様と呼びかける時、少し安らぎます。小さな集会なので、一人でも礼拝を休む人がいると、寂しく思い、また、大切な人と知る。休んだ人がいればその人のために祈りたい。祈りは力になります。 

◎集会には、連れてきてもらわないと参加できない体になってしまった。連れてきてもらうとは感謝です。何もできなません私は、愛の御手を感じます。以前のことです。私は、ひどい言葉を投げかけられた。うつの心になってしまいました。この衝撃に立ち上がれることができるのか、と不安になりました。何年か前ですが、いやな思いをしたその人を忘れていないことは、その人を許していないことである、と苦しんだ。イエスは言います「7回を70倍許しなさい」と。忘れない自分と許さなければいけない、忘れなければいけない自分。一つの罪から解放され、私も許されたい。まずは人を許さなければならない。「怒りは主に任せよ」の夫の言葉を思い出している。今、榎本牧師の新約聖書11章を少しずつよんでいかます。紹介します。「信仰とはイエスを私の中に迎え、私がそのしもべとなる、舞台を私からイエスに譲ること」 主役を譲ることが恩恵と思う。この年齢になると1日1日が大切である、身をもって感じています。ここのところ、午前中ほとんど横になって過ごす。夜1時まで起きているからと反省する。今日から早く寝て早く起きられるようにしていきたい。 

9月

◎夏も終わりいよいよ秋到来し、いつの間にか日も短くなり、虫の声が聞こえる。今年の夏、天気が不安定で日本のあちこちで、ゲリラ豪雨が発生し1時間の雨量があという間に 何十ミリに達する。広島の土砂崩れで70名を超える犠牲者がでたが、1974年の清水七夕豪雨から40年経過が経過したこの地域に来るか心配である。 

◎何はともあれ、健康でありたい。S様が集会を休み2カ月経たず天国へ旅立った。あまり苦しまず天国に行けたことが救いである。もう田舎に帰ってこないから、と言い残し、北陸、岐阜、清水と移り住む。兄が駆けつけられ、「いい顔をしていた」「両親の墓に納めるます」と言って郷里へ帰られた。 

◎先週詩編93篇を学ぶが、神の力強さが記されてあった。神の創造された世界は決して揺るがない。神から救いをいただける。まず神に憐れみを乞いたい。神の栄光をまず願うことが大切なことを学ぶ。

 私の家庭は、老々介護であるが、妻は嫌う。妻はやるべきことがやっていると思っている。週4・5日とデイサービスを増やして利用しているが、少し効果出ていると思う。

 その成果か、聖書の輪読がスラスラできるようになる。施設職員もデイサービスを利用すると元気になる人が出るといっていた。家内もそうだと思う。やることがなくボケてしまうのでは‥‥と心配している。これから先の生き方を考えたい。まずは神への感謝を忘れないように生活をしていきたい。そんな気持ちで暮らしていきたいのでご指導よろしく。 

10月

自分のこと考えるとどうしょうもない不安に駆られる。今週から新約を学んでいるが、詩編も、新約も一人ではわからなくて良い機会を与えられた。感射です。詩編を学ぶことができひたすら神に感謝。聖書を学んでいながらもこの世のことに心奪われる私。永遠のいのちは、この世のさまざまなことでなく来世のことでその日のためにこの世の生活がある。この世で追い求めることは来世のことのみと思わせられる。 

11月

 E様の参加感謝。少人数でやっているのでまた都合つけて参加されることを待っています。今思うと知らない土地に来て、慣れない仕事に悩み苦しむ時もあったが、間もなくキリスト教を知り、幸せであった。キリスト教が育ててくれた。人間的なものでなく、初めから創り支配される神を信頼して、罪を洗い流してくれる幸せを慕い続けてきた。苦しい時もあったが無事に助けてくれ大過なく、今日まで生かされ感謝しかない。この後いつまで生きていられるかわからないが、神を慕い続けて神を全うしたい。 

12月

 今年は婦人会の役員となり、いろいろな行事に参加している。今まで家と職場の往復の生活であったが、婦人会の行事を通し、いろいろな人に出会うようになった。また、婦人会の仕事に携わり、人のために真面目に活動していることを知ることができ感謝。