詩編 75編             2014..2

 

テーマは「神の救いを信じる」である。

 

イスラエルの国は、紀元前587年バビロンに滅ぼされた バビロンやその周辺国は聖都エルサレムを焼き滅ぼし神殿も廃墟とした 今、詩人はその廃墟と化した神殿に立ち尽くし、神に敵への報復を、正義の実現を願った。詩人は差し迫った状況下で神の裁きが必ず実行されることを願う様子を描く

 

2 あなたに感謝をささげます。神よ、あなたに感謝をささげます。御名はわたしたちの近くにいまし 人々は驚くべき御業を物語ります。

 

繰り返しあなたに感謝を述べ、しかも「神よ」と付け加え再び呼びかける。これは詩人の何としても伝えたい気持ちと親しみを込めた気持ちの両方が込められている。何としても感謝の気持ちを伝えたい、届けたい、わかっていただきたい。詩人のように神に迫ることが必ず神に届く。

 

3-6「わたしは必ず時を選び、公平な裁きを行う。地はそこに住むすべてのものと共に 溶け去ろうとしている。しかし、わたしは自ら地の柱を固める。わたしは驕る者たちに、驕るなと言おう。逆らう者に言おう、角をそびやかすなと。お前たちの角を高くそびやかすな。胸を張って断言するな。」

 

感謝の言葉に対し、今度は神が応える。「時が来れば必ず公平な裁きを行う。今、地は無力で目標を失った状態である。しかし私が地に柱をしっかりと固める。驕る者、逆らう者の力を削ぐ。また、定めた時に、必ず裁きを行う。準備が整った時、必要な裁きを行う。人の欲でなくあくまでも私自身の決断で実行する。裁きは私の特権、私のみ行うことができる。私が人をこの地上に誕生させた創造主、天地創造された主として責任を負う」と。

 

後半に、否定の命令形「何々するな」が3回続く。これは、自分の力を過信し勝手な行動をとる人に「勝手なことをするな」と。また、反発する人に「脅すな」と。更に、誇りたい人に「力を見せびらかすな、威張ってさも自信有り気に言うな」と。この神の戒めは、サムエル記上2:1-20に重なる。

 

7-11「そうです、人を高く上げるものは 東からも西からも、荒れ野からも来ません。神が必ず裁きを行い ある者を低く、ある者を高くなさるでしょう。すでに杯は主の御手にあり 調合された酒が泡立っています。主はこれを注がれます。この地の逆らう者は皆、それを飲み おりまで飲み干すでしょう。わたしはとこしえにこのことを語り継ぎ ヤコブの神にほめ歌をささげます。「わたしは逆らう者の角をことごとく折り 従う者の角を高く上げる。」

 

神の応答をお聞きし詩人は俄然自信を得る。「そうです」と。人を高く上げる(救い)は、地上のどこからも起きない、民の中から生まれない、神が必ずしかるべき時に、神自身が最も良いと考えた時に、裁きを行う。既にそこに神の怒りの盃=避けられないその人その人に見合った運命が準備されている。その杯は口当たり良く調合され、飲みすぎ酔いつぶれてしまう酒で、主はこの口当たりの良い酒を強制的に飲ませる。この社会で神に背を向け反発する人は、一人残らずしかも一滴も残さず飲まされる。神の裁きは必ず行われ、正義は貫徹されることを述べる。このことは、例え現在、悪が栄え善が迫害されていても、必ずそれは正されることを我々に示している。

 

 詩人は最後に「私は私に背を向ける人の力を徹底的に押さえます。そしてその逆に私を信じ受け入れる人の力、人格を徹底的に高め讃えます」と結び、現在苦しんでいる人々へ励ましのエールを送る。

 

むすびとして

 

75編全体で大切な個所は、3節「わたしは必ず時を選び、公平な裁きを行う」である。恐れを感じるがそれ以上に慰められる言葉で、耐える力の根拠となる。

 

・自分の角(力)を求める者は、驕るもの、逆らう者(5節)となる。そのものは裁かれる者でもある。

 

・自分の力に頼らず、神に頼りなさい、いつも小さき者、土の器でできた弱い者のあることを忘れず、つねに謙遜な心を忘れずに歩みなさい、というメッセージである。