ガラテヤの信徒への手紙 1:1-10            2019.4.28
テーマ:神の前に一人立つ使徒パウロ 
 パウロの手紙には、必ず冒頭にあいさつがある。パウロの手紙の代表作と言われる「ローマへの信徒への手紙、その挨拶は、訪問したことのないローマのため、相手方を配慮し丁重にて書かれている。その一方、この「ガラテヤの信徒への手紙」は、パウロの第1回の伝道旅行で訪れたところであり、親しい弟子たちのいる諸教会宛へ書いたものである。しかも、彼らがパウロを怒らせたことがあり、それが、手紙を書いた大きな理由となった。
 どうして、パウロは怒ったのか? そこには、二つの理由があったように思う。まず、「あなたがたがこんなにも早く離れて、他の福音に乗り換えようとしている」(6)ことに対してである。もう一つは、パウロは自分自身を「使徒」と言っているが、イエスの直弟子でなく、それを知ったガラテヤの人々に動揺が見られたことに対し怒った。
 パウロの使徒とは何だろうか? パウロは、ダマスコ郊外で復活したキリストに会っている。主より、「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、私が選んだ器である。」(言行録9:15)と言われた。冒頭のあいさつで「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神により使徒とされたパウロ」(1)とあるように、パウロは主から掛けられた言葉を大切にしていることがわかる。そしてこの挨拶に徹底してこだわり、大切にしている。他の使徒と異なり、私は直接、復活されたキリスト・イエス、そして神から呼び出された者である、パウロの使徒としての思い入れが伝わってくる。
 イエスの復活は、キリスト者にとり画期的な出来事であり、喜びである。復活により私の沢山の罪が赦された。私の代わりに一人イエスが血を流し洗ってくださった。この喜びをさて置いて他にどんな喜びがあろうか。 
 パウロだけでなく、イエスの復活を目の当たりにした弟子も、以前の不安定な信仰から決別し、弟子達は一人一人、しっかりした信仰を与えられた。その中でリーダー格のペトロは、言行録2:14以降で、多くの人々を前に教えを説いた。その教えの最後に「邪悪なこの時代から救われなさい」と激励した。イエスと共に過ごし、イエスの御言葉を直接お聞きしていても、信仰が揺れ動き、常にイエスに心配ばかりかけた人間。ペテロは、以前の自分と決別し地に根を張り自立した信仰の持ち主となられた。
▢まとめとして
 キリスト者の生活の基準、根拠は主である。私の所属する元代表は、手紙には決まって「主にあって敬愛する〇〇兄弟姉妹」「主が許されれば、何々したい」と書かれていた。信仰を共にする兄弟姉妹との交わりの中心におられるのは主であること、このことを常に忘れず行動された人でした。このことを私も忘れないで生活していきたい。
 今後、パウロに倣い、来る朝毎に、復活のキリストに罪赦された喜びを感謝し、心からアーメンといって、一日一日新鮮な気持ちを心に迎え入れ、生活したいと願っています。