使徒言行録9:1-22               2019.10.13

                         西澤 正文

テーマ:タルソスの出身者を訪ねよ(11)
 迫害の手が益々過激になったサウロは、大祭司のところへ行き、イエスを信じる人たちを捕らえ、エスサレムへ強制連行するため、ダマスコの諸会堂宛の添書を求めました。ダマスコの街に近づいた時、強い光に照らされました。目が見えず、闇の中に閉じ込められ、想像を絶する恐怖に襲われました。三日間、サウロは目が見えず過ごしました。
 サウロにとりこの三日間はどんな意味があったでしょうか? イエスの前に立たされ、心の内を炙り出されたのです。今まで心の拠所であった八日目に割礼を受けたことや血筋の良い生い立ち、律法の熱心さ、義では非のうちどころのない優等生、この古い人間と決別するための3日間であったと思います。また、息を引き取る時のステファノの「この罪を彼らに負わせないでください」の叫びは、サウロの耳底に残っていたではないでしょうか。
 これまでの自分の力に頼る生き方は救いに到達できず、イエスを信じ、受入れなければ生きていけない心境であったに違いありません。万策尽きて降参し、白旗を上げた状態ではないでしょうか。
目か見えるようになったサウロは、主の呼びかけに対し、「主よ、あなたはどなたですか」と応答しました。従順で素直なサウロになっていました。

 その一方で、律法に従って生活する信仰深い人アナニアが、主から声をかけられました。アナニアは「主よ、ここにおります」と応答しました。主はアナニアに「タルソス出身者を訪ねよ」と命じます。 


 

 

 しかし、サウロの悪い評判を知っているアナニアは殺される身の危険を感じ、拒否しました。しかし、主がお選びになった人であることを知り、考え直し、従いました。
▢結びにかえて
(1)劇的なサウロの回心は、その後の信仰生活において、幾度となく思い浮べています。サウロにとり、信仰の原点であり、初心に帰り、自分自身の信仰を映し出す鏡となりました。時に弱気な気持ちを奮い立たせ、進む方向を確認して歩むことが出来たと信じます。
  私たち多くの信者は、サウロのような劇的な回心体験はありません。しかし、信仰の先輩方々に支えられ、頼りない信仰の歩みであっても、何とか今日まで主を信じて生きて来ることが出来ました。信仰の先輩方々の支え、導きにより今日まで信仰の道を歩んでこれたことを思い、アナニアのように小さき人、弱い人の支援ができるよう願っていきたい。
(2)主からの呼びかけに対し、「主よ」と応答されたサウロ(5)、アナニア(10)でした。この応答の第一声「主よ」は、2人の主を信頼する誠実な態度を示していると思います。見習いたいと思います。1日の中で、主を思う時間、主に祈る時間を、今より、少しでも多くしていきたいと願っています。