ルカによる福音書24:1-35                2019.4.14
テーマ:約束通りイエスは復活された
1-12 イエスの復活
 イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、夜の明けるのを待って、前々日に求めた香料や香油を携えて墓に行った。墓の中を伺えばイエスの遺体がなかった。天使二人(23)が、近くに現れた。天使二人は婦人たちに話された。「よみがえってここにいないイエスをどうして探すのか。イエスはもうここには居られない。復活されたのだ。以前、イエスがガリラヤにおられた時、『人の子は罪人等の手に渡され、十字架につけられこの世を去り、その後三日目に復活する』と約束されたのではないか」。
 婦人たちは、イエスが三日目に必ず復活すると言っておられた言葉を思い出した。婦人たちは、墓から帰って11人の弟子たちに説明したが、弟子達は嘘の話と思い、婦人の話を信じなかった。私達は復活をどう受け止めたらよいのだろうか。
 復活されたイエスにお目にかかれた弟子達、婦人達の貴重な証言が、二千年を経て今、聖書を通し、その真理を知らされている。この証言を事実の出来事として信じることです。また、イエスが墓の中に閉じ込められたように、出口が見つからず狭い部屋に閉じ込められたような状況に置かれた時、復活を信じ、そこから光を受け困難な状況を破ることができると信じることです。
13-35 エマオ途上で復活のイエスに会う
 二人の弟子が、約11㎞離れたエマオに向かい、イエスの一切の出来事について話なが
ら歩いていた。するとイエスが「何を話しているのか」と言ったので、イエスの亡くなられたことが、ただ悲しいと嘆き、二人は、暗い顔をして立ち止まった。これはどういうことを意味しているのだろう。 
 弟子の二人は、イエスのこれまでの出来事を近くで見ていながら、また、復活の話を聞いていながらも、自分には何の関わりもないことのように思って受け止めていた、ということである。イエスの一連の行動、御言葉が、二人にとり希望にならず、力にもならなかった。自分とは関係のない、たわ言(11)と思っていたことを表している。 
 イエスは、物わかりの悪い弟子達を嘆き、「あなた達は、預言者たちの言葉を信じられな
い者たちだ。メシアは苦しみを受け、栄光に入るはずではなかったか」と言われた。そして、聖書全体は、旧約の予言者から私イエスについて書かれている、と説明された。
▢まとめとして
 信仰は、約束を信じることである。ヘブライ人への手紙11:1「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」とは、望む、見えない事実を信じるのは、将来の約束を信じることである。生前、イエスは世を去って3日後に復活する約束を3度繰り返された。将来の約束をしたが、弟子たちは誰も信じなかった。
 キリスト教は、「十字架の死、復活、再臨」が大切と言われる。特にキリスト者は、近い将来、神、キリスト・イエスがこの世に臨まれ、神に属する人、属さない人に分け、裁かれることを信じる。再臨の約束を信じる時、困難に向かう勇気、耐える力が得られる。また、親しい人との再会の喜びを持つことができる。将来の約束無くして信仰者の希望はありません。