コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章         2024.3.3

小田弘平

  コリントの教会では党派的争いが続いていた。パウロが最も問題にしたのは主イエス・キリストを中心にする信徒同士の交わりがなかったことだ。その象徴が「主の晩餐」自体が大切にされなかったことだ。

 パウロが設立したコリント教会では教会員は各自食べ物を持参して主の晩餐を共にすることを基本にしていた。しかしパウロが去ってのち、晩餐は皆が共に食事をしないで、親しい仲間だけで食事をしたり、貧しく食事を持参することができない人は空腹のまま我慢をしていた。これはもはや神の教会ではなかった。貧しい人は恥をかく有様だった。コリント教会を設立したパウロには堪えられないことだった。

 「主の晩餐」がいかにイエスにとって重要なものであるか。イエスがユダの裏切りによって弟子たちと最後の食事をされてオリーブ山に出かける直前の食事である。マタイによる福音書26章を見たい。

 「一同が食事をしているとき、イエスはパンをとり、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これが私の体

 

である。』また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血である。言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山に出かけた。」

 このように主の晩餐はイエス・キリストの十字架の意味を弟子たちに伝える最後の機会だった。主の晩餐は単なる信仰者の福音信仰の表現ではない。コリント教会では貧しい信徒が主の晩餐に招かれず、多くの弱い者、病人が死んだ。パウロは主の晩餐にあずかるとき、互いに待ち合せなさいとまで言う。この「待合せる」ことは極めて現代的な意味を持っている。

 現在世界中で飢え、苦しんでいる人が世界人口(85億人)の一割以上という。豊かな人だけが豊かな生活を享受することは主の体(人類のすべての人)に対して罪を犯すことではないか。貧しくされた人々の中に主イエス・キリストはおられる。「主の晩餐」は単にイエスと共に飲み食いすることだけでなく、主と共に生きることである。主の晩餐とは私たちの心の内にキリストを住まわせることである。