詩編 77編             2014.3.

 

今日のテーマは「苦難は神の御許へ導く」である。前半の1節から10節までは詩人の疑う心を示し、後半の11節から最後の21節は疑いが吹っ切れて神への信頼を歌っている。

 

2神に向かってわたしは声をあげ 助けを求めて叫びます。神に向かってわたしは声をあげ 神はわたしに耳を傾けてくださいます。 

 

 詩人は祈り対象である神をしっかり意識して語り掛ける。単なる独り言、つぶやきではない。祈りは対象をはっきりすべきであり、そのことにより真剣に祈ることができる。そして「助けを求めて祈ります」が「神はわたしに耳を傾けてくださいます」と、神の応答を期待することができる。

 

3苦難の襲うとき、わたしは主を求めます。夜、わたしの手は疲れも知らず差し出され わたしの魂は慰めを受け入れません。

 

苦難に襲われるとき私は主を求める。夜、寝静まり床に入った時、私は意識しなくても主に手を指し伸ばし、祈る。苦悩に圧倒されている人は、人間的な安易な慰めは受け入れることができない。

 

神を思い続けて呻き わたしの霊は悩んでなえ果てます。5あなたはわたしのまぶたをつかんでおられます。心は騒ぎますが、わたしは語りません。

 

神を思い、苦しみ続けた私の霊は悩みから解放されず意気消沈しています。私は苦悩、不安が大きすぎて夜も寝ることができません。心は高ぶっていますが、ものも言うことができません。

 

6いにしえの日々をわたしは思います とこしえに続く年月を。7夜、わたしの歌を心に思い続け わたしの霊は悩んで問いかけます。8「主はとこしえに突き放し 再び喜び迎えてはくださらないのか。9主の慈しみは永遠に失われたのであろうか。 約束は代々に断たれてしまったのであろうか。10神は憐れみを忘れ 怒って、同情を閉ざされたのであろうか。」

 

過ぎた在りし日々の思い出が心にいつまでも残り、懐かしく思い起こしています。人々が寝静まった夜になると、今直面している悩みで頭が一杯となり、気が付けばいつの間にか自問自答が際限もなく繰り返される‥‥主はこれからもずっと私から離れ去り、以前のように優しく私を受け入れてくださらないのか。主の愛は永遠に消えてしまわれたのだろうか。以前の約束はもう過去のものとなったであろうか。神は愛を忘れてしまわれたのか、怒りのあまり愛をしまわれたのでしょうか、と。

 

東日本大震災の被災者の思いと重なる。一瞬のうちに家族の命が失われた。財産も消滅し、

 

隣人も、近所の親しい人々との交際も、ふるさとの自然・山々も風景も一瞬のうちに消え去った。何も信じられず、あの時以来、私の魂は漂流している。今も私はどうしてここにいるのか、何故一人ここにいるのかどこにいるのか、家族はどこにいて何をしているのか‥‥、

 

今も現実が見えない、受け入れることができない。

 

私は、上京して半年が経った大学1年生の秋のこと、大都会の生活慣れず、居候生活の身で義兄への遠慮があり、肩身を狭くして生活していた。そんな時、実家では姉の結婚話こじれ、家族会議を開くからと呼び出しさた。その前に病院へ寄り検査の結果を聞いてから清水へ帰ろうと立ち寄る。すると「直ぐ入院してください」 驚いたが仕方ないと観念し入院の準備を整え入院となる。大部屋に入ると年寄りばかりで、夜いびきで寝ぬれず、また夜中に廊下を走る看護師の足音が聞こえ、様態が急変した人の元へ急ぐ。昼間になれば、召された人の話で持ちきりである。一瞬のうちにおかれた環境が急変し心を整理するのに苦労したことを昨日のように鮮明に思い出す。

 

この詩を通し、いつまでも続くこの堂々巡りから解放されるには、一切を自分の頭で考えようとすることをやめ、只人知を超えた神の摂理を受容すること、これが最善であり唯一の道である、このことを学ぶ。

 

11わたしは言います。「いと高き神の右の御手は変わり わたしは弱くされてしまった。」 12わたしは主の御業を思い続け いにしえに、あなたのなさった奇跡を思い続け 13あなたの働きをひとつひとつ口ずさみながら あなたの御業を思いめぐらします。

 

詩編77全体の中でこの12-13節が山場である。

 

神は神自身の御計画により私の境遇を考えておられる。今まで思い悩み続けてみて初めて分かりました。新たな試練に直面してみて、神が私にどれ程良くしてくださったか、今、改めてあなたが私に施していただいた恵みの一つ一つを静かに思い出しています。人は試練、苦難に直面して初めて今まで受けた御恵みの大きさに気づく。そして神の御許へ行く。

 

14節から「わたし」の言葉が消え、詩人の心は神のみに集中していることがわかる。

 

14神よ、あなたの聖なる道を思えば あなたのようにすぐれた神はあるでしょうか。15あなたは奇跡を行われる神 諸国の民の中に御力を示されました。16御腕をもって御自分の民を ヤコブとヨセフの子らを贖われました。

 

あなたの道は常に「聖」であり、人間の目先の都合によって左右されるものでない。人間の思いに影響されず、思いを超えたところにあるのがあなたの道・御計画です。あなたは全能の神、その力によってなされた御業・奇跡は、歴史の上にはっきりと刻まれています。あなたは、具体的な御業を通して、神の民・ヤコブ、ヨセフの子らをお救いになり、導かれました。

 

17大水はあなたを見た。神よ、大水はあなたを見て、身もだえし 深淵はおののいた。18雨雲は水を注ぎ 雲は声をあげた。あなたの矢は飛び交い 19あなたの雷鳴は車のとどろきのよう。稲妻は世界を照らし出し 地はおののき、震えた。20あなたの道は海の中にあり あなたの通られる道は大水の中にある。 あなたの踏み行かれる跡を知る者はない。

 

神に逆らう反抗勢力は、神を見て恐れた。雷雲は雷をとどろかせ、稲妻 雷光が大空を走った。その声は、戦場を走る車のような重い響きをとどろかせる。地は恐れをなし揺れ動いた。

 

21あなたはモーセとアロンの手をとおして 羊の群れのように御自分の民を導かれました。

 

あなたは、あなたの民がエジプトを脱した時の指導者モーセとアロンの手を通し、羊の群れのような進むべき道もわからない多くの民を導かれました。今、苦難に囲まれた中で生活する信者も、きっと解放の日が訪れ、喜びの歌を歌う時が来ます。神に向き合い祈る時、祈る者の心の中心にあるものは「自分」でなく「神」であり、わたしから神に移される。

 

今日のまとめとして、

 

・究極の救いは自分の力で成し遂げるものではなく、外からもたらされるものである。

 

・苦しみ、悩み、不安等、これらの困難が塀のようにそそり立ち、周りが見えなくなる時がある。 暗闇の中で生活する時、神を迎え入れることができれば、新しい風の流れを感じることができる。聖霊が流れる。そして神の手が差し出され、塀の囲いから引き上げてくださる。神に心を向ける方向転換、ギヤチェンジすることが大切である。自分のお腹の中を覗き込んでばかりいないで空を見ること、神を迎え入れる、それが大切である。