マタイ11:1-30        2015.4.5

119 洗礼者ヨハネとイエス

 イエスは12人の弟子を選び、伝道を始めるに当たり、弟子達へ親がわが子に諭すように、訪問先、伝道の心得、予想される迫害とその対応、迫害の中にあって本当に恐るべき者を恐れること、自信の立場の明確な意思表示、十字架に命を捧げる決意を伝えた。その後、いよいよイエス自らが方々帆町へ訪問し伝道開始となる。その前に、洗礼者ヨハネについて紹介されるが、このことを通して、ここでもイエスの御力が紹介される形となる。

 獄中にいるヨハネは、人を介してイエスの様子を聞いてはいるが、自分の弟子を使い、ヨハネ自身が待ち焦がれた本物のイエスかどうか確かめさせた。ヨハネにとりイエスはそれ程大きな存在であった。

4-5「イエスはお答えになった『行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。』」ヨハネにとり、このイエスの言葉を聞くだけで充分納得できたのである。

 

2024 悔い改めない町を叱る

 20「それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。」町々とは、ガリラヤ湖北部に点在するコラジン、ベトサイダ、イエスが住まわれ伝道の拠点としたカファルナウム、イエスにとり大変馴染みのある町である。これらの町は、イエスの教えを耳にし、イエスの奇蹟、業を見ていながらも、イエスの受け入れを拒んだ町であった。そのような町より、イエスを知らない異邦の町ティルス、シドン、歴史から消えて行った町ソドムの方が、軽い刑罰で済むと言う。

 これは現代の人々へのメッセージでもある。現代は、世界中至るところに教会が、聖書集会が存在し、その気になれば聖書の話しを聞くことができ、また、毎年世界一番の売れ行きを誇り何億冊と出版され簡単に聖書を手にする環境が整っている。にも拘らず、神の教えの背を向けて生活する我々現代人への警告でもある。

 

2530 私のもとに来なさい 

   25「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」 神の教えは、頭で、理屈で、知識・教養を積んで理解するものではない。知識・教養がなくても、幼子のような低い心で、素直な純真な心で、その教えを信じさえすればよい。神の教えに従い、イエスの招きに応えるだけでよい。理屈でなく、信じるか否かの勇気と決意、それだけでよいのである。

28-30「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 神を信じない者が背負う荷物は重い。自分の力を信じ、目一杯頑張ろうとするからである。歯を食いしばり、肩に、否全身にあらん限りの力を入れるからである。身体だけでなく、神経もすり減らし心も疲れ果てるのである。一方、神を信じる者の荷物は軽い。神が共にその荷物を担い、牛・馬の軛のように一緒に背負ってくださるからである。自分一人ではなく、共に担ってくださる神様がいてくださることを知れば、精神的にも軽やかとなり気もちも安らぐのである。

日頃、この安らぎを得ようと思うなら、外へ出ることである。戸外の爽やかな風の流れ、天高い青い空、雲の流れ、そして身近な草花、丘、山裾に広がる木々の緑等、神が創造されたこれら自然により、心は安らぎ、癒されるのである。

 

まとめとして

・イエスに出会い、御業や奇跡を見、教えを聞きながらも悔い改めず、信じない者は裁きの日に罰せられる。現代は、世界の多くの国に教会があり、聖書が出回り、その気になれば、イエスの教えを知ることが出来る。

・疲れた人は、ありのままの姿をイエスの前に投げ出せばよい。嘆き、わめき、愚痴をこぼし、素直に本音をさらけ出せば、必ず受け止め、答えてくれる。それがイエスキリストである。

※―「清水聖書集会」ホームページ・(トップページ)より―

共に聖書を読みませんか! 私たちの集会には、神学を専門に学び説教する資格のある牧師、神父はいません。ただ聖書一冊を拠所とし、神を信じ、イエスを友とし、信仰生活を送る者の集まりです。 現在、私たちを取り巻く生活環境は、大変厳しいものがあります。その厳しさは、年々増しております。経済不況による就職難、生活苦、核家族化による孤独や老後の心配、精神的ストレスによる心の病など、多くの不安に囲まれ生活することを余儀なくされております。 イエスは、我々に呼びかけます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」このイエスの呼びかけにより、集会を開いております。 どうぞ集会にお出かけください。共に聖書を読みましょう。そして共に祈り、賛美し、語り合いましょう。