詩編78編1-43節          2014.4.6

 

テーマ:歴史の教訓―人の罪と神の愛―                      

 

出エジプトから荒野の旅、カナン定着、ダビデ王国成立までの歴史を振り、民の罪、神の愛と忍耐による救いを紹介

 

1-8教訓詩の序文                

 

1【マスキール。アサフの詩。】わたしの民よ、わたしの教えを聞き わたしの口の言葉に耳を傾けよ。 2わたしは口を開いて箴言を いにしえからの言い伝えを告げよう 3わたしたちが聞いて悟ったこと 先祖がわたしたちに語り伝えたことを。 4子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう 主への賛美、主の御力を 主が成し遂げられた驚くべき御業を。

 

私の民よ、今から語るわたしの教訓、戒めに耳を傾けて集中して聴くように。私たちが今まで先祖から語り継いだことを話そう。主が私たち先祖に為された御業の数々のすべてをよいことも悪いことも全て包み隠さず語ろう。

 

次の世代に神の御業を語り継ぐことは、民の責任であり、歴史、文化、信仰の継承である。それは時代を超え、常に現代を生きる世代の歴史的な使命である。詩編が書かれた時代だけのことでなく今の私たちのことであり、これから大人になる子供たち、これからこの世に生を受ける人々の使命でもある。

 

5主はヤコブの中に定めを与え イスラエルの中に教えを置き それを子孫に示すように わたしたちの先祖に命じられた。 6子らが生まれ、後の世代が興るとき 彼らもそれを知り その子らに語り継がなければならない。 7子らが神に信頼をおき 神の御業を決して忘れず その戒めを守るために 8先祖のように 頑な反抗の世代とならないように 心が確かに定まらない世代 神に不忠実な霊の世代とならないように。

 

主はイスラエルの中に定め、教えを置き、それを後世の子供たちに教えるように命じた。それは後の世に語り継ぎ、神の御業を忘れず、教えを守り、先祖が犯した神に背くことを再び繰り返すことのないよう、常に心に戒めとしてとどめておくようにするためである。『歴史を教訓として学ぶ』ためである。

 

※コリントⅠ10:5-12(P312)

 

9-11民の不従順

 

9エフライムの子らは武装し 弓を射る者であったが 闘いの日に、裏切った。 10彼らは神との契約を守らず その教えに従って歩むことを拒み 11その御業をことごとく忘れた 彼らに示された驚くべき御業を。ヨシュア時代以後、イスラエルを指導したのはエフライム部族(北イスラエル)であった。エフライムはヤコブの孫にあたりヨシュアの子である。彼らは出エジプト時代の神の御業を忘れ、自分の力に頼り歩んだ。

 

12-16神の救いの御業

 

12エジプトの地、ツォアンの野で 神は先祖に対して不思議な御業を行い 13海を開いて彼らを渡らせる間 水をせきとめておかれた。 14昼は雲をもって 夜は燃え続ける火の光をもって彼らを導かれた。 15荒れ野では岩を開き 深淵のように豊かな水を飲ませてくださった。 16岩から流れを引き出されたので 水は大河のように流れ下った。

 

彼らが忘れた神の御業とは

 

13海を開いて彼らを渡らせる間水をせき止めた 出エジプト14:21-22(P116)

 

14昼は雲、夜は燃え続ける火の光をもって導く 出エジプト13:21-22(P115)

 

15荒れ野では岩を開き豊かな水を飲ませた 出エジプト17:6(P122)

 

これらの神の御力、御業により荒野を旅する民の命を守り、厳しい環境の中でも旅路を守りカナンの地をめざし、足を進めることができた。

 

17-22民のつぶやき・不従順

 

17彼らは重ねて罪を犯し 砂漠でいと高き方に反抗した。 18心のうちに神を試み 欲望のままに食べ物を得ようとし 19神に対してつぶやいて言った。「荒れ野で食卓を整えることが神にできるのだろうか。 20神が岩を打てば水がほとばしり出て 川となり、溢れ流れるが民にパンを与えることができるだろうか 肉を用意することができるだろうか。」 21主はこれを聞いて憤られた。火はヤコブの中に燃え上がり 怒りはイスラエルの中に燃えさかった。 22彼らは神を信じようとせず 御救いに依り頼まなかった。

 

このような大きな神の愛の行為を受けていながらも、民はこの神の愛を忘れ、不信仰、不平・不満をもって応えた。水を与えればパンがないとつぶやき、パンを与えれば肉が食べたいと訴えた。神が与えれば、次には与えられたもの以上を要求する。民の欲望はますます膨らみ際限がない。これは人間の本能であり我々すべて者に当てはまる。ここに人間の罪の本質=むさぼりという罪が、どんな人にも潜んでいるのである。神は民の不信仰を見逃すことはせず、必ず怒りを発せられる方である。民を愛するために義をもって罰せられる。

 

23-31神の恵みと怒り

 

23それでもなお、神は上から雲に命じ 天の扉を開き 24彼らの上にマナを降らせ、食べさせてくださった。神は天からの穀物をお与えになり 25人は力ある方のパンを食べた。神は食べ飽きるほどの糧を送られた。 26神は東風を天から送り 御力をもって南風を起こし 27彼らの上に肉を塵のように降らせ 翼ある鳥を海辺の砂のように降らせ 28彼らの陣営の中に 宿る所の周りに落としてくださった。 29彼らは食べて飽き足りた。神は彼らの欲望を満たしてくださった。 30彼らが欲望から離れず 食べ物が口の中にあるうちに 31神の怒りが彼らの中に燃えさかり その肥え太った者を殺し イスラエルの若者たちを倒した。

 

神は怒り罰したにもかかわらず、民を深く愛するためにさらに救いの御業を続けた。

 

→24「それでもなお」

 

24マナ:天の穀物 出エジプト16:14(P120)

 

26-29:南東の季節風に乗ってウズラの大群が飛来し、宿営中の民の食用肉となった

 

30神は民の欲望をみたされた。それにもかかわらず民の欲望はとどまることを知らない。

 

彼らの食べ物がまだ国の中にあるにもかかわらず、次の要求をする。これに対し神は特撮彼らの中に災いをもたらした。民数記11:31-34(P232)

 

民の貪欲さ、節度のなさが病死の原因となった。自業自得(じごうじとく)である。

 

32-39罪、罰、悔い改め、赦し

 

32それにもかかわらず、彼らはなお罪を犯し 驚くべき御業を信じなかったので 33神は彼らの生涯をひと息のうちに 彼らの年月を恐怖のうちに断とうとされた。 34神が彼らを殺そうとされると彼らは神を求め、立ち帰って、神を捜し求めた。 35「神は岩、いと高き神は贖い主」と唱えながらも 36その口をもって神を侮り 舌をもって欺いた。 37彼らの心は神に対して確かに定まらず その契約に忠実ではなかった。 38しかし、神は憐れみ深く、罪を贖われる。彼らを滅ぼすことなく、繰り返し怒りを静め 憤りを尽くされることはなかった。 39神は御心に留められた 人間は肉にすぎず 過ぎて再び帰らない風であることを。

 

民は、繰り返し神の愛、奇跡的な救いを体験していながらも、神への純真な信頼を維持することはできなかった。神は民の命を絶とうと考えた。すると民は死の恐怖によって正気になって我に立ち返り本気で神を求めた、求めようとした‥‥。「神は岩、いと高き主は贖い主」と言いながらも、それを忠実に実行しようとはしなかった。しかし神は忍耐と憐れみにより民の悔い改めを待っておられる。すべての人間は罪人であり、神の目からすれば風、息に等しい者、弱くもろい砂の器であり、常に死と隣り合わせの存在であることをご存じである。

 

40-42荒野における民の不信仰

 

40どれほど彼らは荒れ野で神に反抗し 砂漠で御心を痛めたことか。41繰り返し神を試み イスラエルの聖なる方を傷つけ 42御手の力を思わず 敵の手から贖われた日を思い起こ

 

さなかった。

 

荒野を旅する時代は、民の不信仰の時代でもあった。そのことは民数記にも記されている。民数記14:22-23(P236)荒れ野の時代は、民にとり罪と悔い改めを繰り返し、神にとり罰と憐れみの忍耐の連続でもあった。

 

まとめとして

 

・信仰の継承 神の真理の継承は、実生活の中で身近な家庭、人々に為し得る。

 

 救いの歴史は、民の不従順と神の裁きと愛の導きの繰り返しであった。民の不従順、不信仰を包み隠さずありのまま告白してこそ民の神への真実な姿が映し出される。それだからこそ、後世に親しく身近なものとして受け継がれる。我々も気取らず、飾ることなくありのままの姿を実生活を通し、身近な人に伝えたい。

 

・23「それでもなお」38「しかし」、神は民が神から背を向けても完全に捨ててしまわず、それでもなお、救いの手を差し伸べ救われた。神を信じる者は罪に気づくたびに熱心に悔い改め神の赦しをいただくしかない。(34-35) この神に向かう姿勢があれば神は救いの手を差し伸べてくださる。この世を去る日まで信仰を持ち続けたい。人生の途中まで熱心に立派な信仰を持ったとしても、天に帰る瞬間に信仰から離れれば何もならない。死ぬ日、最後の一息まで信仰をもって御国へ旅立ちたい。