詩編66篇            2013.11.24

 

テーマ:我らは神を喜び祝う

 

1-4御名の栄光をほめ歌え。栄光に賛美を添えよ。 神に向かって歌え 「御業はいかに恐るべきものでしょう。御力は強く、敵はあなたに服します。 全地はあなたに向かってひれ伏し あなたをほめ歌い 御名をほめ歌います」と。

 

冒頭から、喜びの叫びで始まる。さあ、全地よ、地上のすべての民よ! 神に心から喜びの声をあげよう 神に感謝の気持を現そう」と。神は我々に良いこと-命を守ってくださった、今こうしていられるのもあなたが敵の攻撃を防ぎ、食べ物・飲み物を用意されて導かれたから。神の御名、誉れを讃えよう、神に伝えよう。

 

 

 

5-9来て、神の御業を仰げ 人の子らになされた恐るべき御業を。 神は海を変えて乾いた地とされた。人は大河であったところを歩いて渡った。それゆえ、我らは神を喜び祝った。

 

神はとこしえに力強く支配し 御目は国々を見渡す。背く者は驕ることを許されない。諸国の民よ、我らの神を祝し 賛美の歌声を響かせよ。神は我らの魂に命を得させてくださる。我らの足がよろめくのを許されない。

 

さあ、神の近くに来て、民に為された神の御業をしっかり目に留めなさい。神は、エジプトに避難したイスラエルの民がエジプト王ファラオとその軍隊に虐げられ、苦しい生活を余儀なくされ続け、呻き声をお聞きになり、エジプトの国から脱出する計画を示された。脱出計画の指導者にモーセを任命し、約束の地カナンを目指す旅の途中数々の御業を為し、イスラエルの民を守りぬかれた。それは神の愛ゆえであった。神は、驚くべき御業を次々と為され命を守ってくださった。このことを深く心に留め私たちを守り導かれる神を心から喜び祝おう。

 

現代の苦難は何か‥‥。便利さが追及され、文明の利器が進む。電化製品が普及し生活が快適となる。自動車の普及、交通網発達により移動が便利、行動範囲が広がる。ケータイ電話、アイホーンの普及で簡単に意思伝達可能、原子力発電所稼働‥‥。その一方で、効率が重視され、生産、売り上げ成績重視され、常に競争原理が働く世の中となる。成績に追われ、体力、時間を消耗し、心のゆとりが失せる。人と人との心の交流、信頼、連帯感を失う。神は、われわれ現代人が文明の利器に囲まれ、孤独な生活を送ることを心痛め、モーセの時代と同じように愛の眼差しで見守っておられる。神は私たちに命、生きる力、気力を与えられ、力強く歩むよう守り、導かれる。数千年前イスラエルの民を導かれた神は、現代を生きる我々にも同じ御力、導きにより守ってくださると信じる。

 

 

 

10-12神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。 あなたは我らを網に追い込み 我らの腰に枷をはめ 人が我らを駆り立てることを許された。我らは火の中、水の中を通ったが あなたは我らを導き出して 豊かな所に置かれた。

 

神は私たちを鍛えられた。銀を製錬し柔らかくするように、私たちが純粋な性格になるように鍛えられた。神の鍛え‥‥我々を網で囲み逃げないようにし、腰に重りをぶら下げさせ       敵が近づくことを許された。そして私たちは多くの危険な状況の中をくぐり抜けてきたが あなたは我々を守られ安全な所に導かれた。この試み、鍛えはあなたの我々民に対する深い愛によるものであることを教えられた。多くの試みをくぐり抜けてきた。振り返ってみれば、

 

それは、我々に偽りと真実を見分ける眼を、そして正確な判断力を、更に生きていく上で必要となる多くの豊かな知識を得るためであった。

 

 

 

13-20わたしは献げ物を携えて神殿に入り 満願の献げ物をささげます。 わたしが苦難の中で唇を開き この口をもって誓ったように 肥えた獣をささげ、香りと共に雄羊を 雄山羊と共に雄牛を焼き尽くしてささげます。神を畏れる人は皆、聞くがよい わたしに成し遂げてくださったことを物語ろう。 神に向かってわたしの口は声をあげ わたしは舌をもってあがめます。 わたしが心に悪事を見ているなら 主は聞いてくださらないでしょう。

 

しかし、神はわたしの祈る声に耳を傾け 聞き入れてくださいました。 神をたたえよ。神はわたしの祈りを退けることなく 慈しみを拒まれませんでした。

 

わたしは献げ物をもって神殿に入り心から献げる。私が苦しい時に誓った誓い‥‥肥えた獣、雄羊、雄山羊、雄牛を焼き尽くして献げます、との誓いをどんなことがあっても忘れず実行する。それと言うのも、常に謙虚な心を忘れないためである。神の前に正直に心低くして自分の罪を告白し、神に従い信じるなら、必ず受け入れ守ってくださる。神は全て人の心はすべてお見通しで分かっていてくださる。

 

まとめとして

 

健康な人は平穏無事の一日が、当たり前と思うが、当たり前と思ってはいけない。私、20代の頃「ああ、平穏な日で詰まらない」と思うことが多かった。しかし、60歳を過ぎた現在、何もない事に感謝できるようになった。神様の守りにもっと感謝しなければと思う。

 

「全地よ、神に向かって喜びの叫びをあげよ」この詩編の初めの1節の呼び掛けが、この詩人の思いのすべてが詰まっていて、我々も神に喜びの声を告げられるよう信仰の道を進んでいこう。