ローマの信徒への手紙2章1-16                 2016.9.25      
主題:人を分け隔てしない神(11節)
 2章は終始一貫、選民ユダや人に対する神の裁きが描かれている。律法を誇り、割礼を誇るユダヤ人に対し、単に割礼という儀式、神から律法を与えられているということを誇り、自分自身を厳しく見詰めないユダヤ人に対し、鋭い視線が投げかけられた。
 人を裁く人は、他人を裁きながら自分も同じことをしているので言い訳はできない。神は寛容で忍耐強く、悔い改めに導きますが、神の寛容な愛に甘えいつまでも悔い改めないならば、神の怒りを買います。怒りは神が正しい裁きを行う日に明らかとなる。(1-5) 
 神は人の行いに応じて裁かれる。コツコツと善を積み上げ、栄光、誉れ、存続を求める人には永遠の命を与え、不義を行う人には、怒り、憤りを示される。ユダヤ人、ギリシャ人などのように、民の違いに関係なく、悪を行う全ての人に、苦しみ、悩みが下され、民の違いは関係なく善を行う全ての人に、栄光、誉れ、平和が与えられる 神は人を偏り見ることなく、全ての人を平等、公平に見る。(6-11)
 律法を知らない異邦人が罪を犯した場合、律法に関係なく滅びる。律法を知っている者が罪を犯した場合、律法により裁かれる。律法を聞く者でなくそれを行うものが神に義とされる。異邦人は律法の命じることを自然に行えば、その人の心が律法であり、そのような人の心の中には、既に律法が記されている。神は、人の隠れたことを最後の日に裁かれ、全てのことが明らかになる。(12―16)
▢まとめとして
 神は、最後の日に、全ての人を公平に、公正に裁かれる。ユダヤ人だからといって特別扱いしない。異邦人だからと言って特別扱いしない。神の前にはユダヤ人も、ユダヤ人でない人も同じである。イスラエルの2代目王・ダビデは、油注がれた者として、人生の最期を迎え、子ソロモンへ遺言し(列王記上2:1-11)、3人の処分を託し、公平に裁かれた。
 1.ツェルヤの子ヨアブを殺害せよ。
 2.キレアド人バルジライの息子たちを大切にせよ。ダビデ王は3男・アブサロムの反逆に遭い、マハナイムに亡命した時、バルジライはダ

   ビデがマハナイムに亡命していた時に助けたからだ。
 3.ベニヤミン人ゲラの子シムイの罪を不問にしてはならない。ダビデがマハナイムに亡命した時に呪ったからだ。
 神様は、天国に於いて、われわれ一人ひとりの生活をすべて見ておられる。私たちはそのことを一刻も忘れることなく、毎日毎日、神様を畏れ、仰ぎ見つつ信仰生活を送ろう。