ルカによる福音書1:1-25               2018.1.28 
テーマ:主はわたしに目を留めてくださった(25)
1-4 ルカ、福音書記録の目的を語る 
 実現した事柄(イエスの誕生とその死と復活・昇天、およびこれに伴う種々の事柄)について、最初から実際に見た人たちや御言葉の伝道にたずさわった人たちが、(語り)伝えてくれた通り、一つの物語に編集しようと企てた人が数多くいた。テオフィロ閣下、私・ルカも、一切の事柄を始めから精密に取り調べました。今、順序を正して書き綴り、これを閣下に差し上げようと思いました。
5-10 ザカリア・エリザベト夫婦の紹介 
 アビヤ組の祭司とは、祭司アロンの子孫は二十四班に分れ、アビヤはその第八班であった。(歴代誌上24:7-19 P661) 各班でくじにより務めの順番を決め、一週間ずつ交替し、宮の祭事を司る。  
エリザベトは、アロンの子孫で、アロンの娘らの一人であった。祭司・ザカリアと妻エリザベトには子供が無かった。二人とも神の前に正しい人、主の掟、定めをすべてしっかり守った夫婦であったが、この二人に子供が授からなかった。 
11-20 祭事当番のザカリアに、天使ガブリエルが現れる
 聖所の中にはザカリアの外には誰もいなかったが、その場面に神の使いが現れたのは、厳粛な瞬間であり、神の御業が現れる前兆である。そして夫婦には、ヨハネの誕生は、四つの喜び、楽しみが生まれるとの知らせを告げられる。その四つとは、

 ①神の前に大なる者となる。
 ②重大な責任を負う者は、自己の慾望に左右されず、酒精に酔うこともなく聖霊にて満たされた者 それは、肉的人間と霊的人間の違いに

  よる。
 ③誕生以前から聖霊に満たされる者である。
 ④神に背くイスラエルの人々を悔改めさせ、神に向き返らせ、多くの人をイエスに導き、イエスによって神に立ち返らせる使命を持つ者で

  ある。
 バプテスマのヨハネは、エリヤと考えられ(マタ11:14。17:10-13。マコ9:11-13)、主キリスト・イエスの先駆者で、イエス・キリストの前を行く預言者であった。
21-25 妻エリザベトの告白…「主が目を留めてくださった」
 ザカリアと天使・ガブリエルとの対話は通常の香を焼く時間よりも、遙かに長時間であった。民衆は、ザカリアの出て来るのを今か今かと待っていた。ユダヤ社会では、不妊は、神の恩恵から遠ざけられた印と見られ、女の恥と考えられていた。そのため、懐妊の事実はエリザベツにとって大きな喜びであった。それだけ重大なる責任を感じて自重し、5カ月間、身を隠して生活した。
🔲まとめとして 
①ヨハネの誕生は、神の御力によるもの 
  ヨハネ誕生は、かねてからの両親の願いであり、その願いがやっと叶えられた。しかし、それは夫婦によるものでなく、神の御力による

 ものだった。神の御力は、人間の能力の及ばないところに現れる。ヨハネの誕生は、このような重大な出来事であって、ザカリアが唖と 

 なったのもその重大さを示している。
②今回の学びの箇所、洗礼者ヨハネ誕生の予告も、神が御使いを送られ実現された    
  夫婦は、神の前に正しく歩まれたのに、それにふさわしい現実とならなかった。神にその理由を尋ねても分からず、苦しんだ。それは何

 故であろうか。夫婦を基準して、神に祈る姿勢であったからであろう。私たちの信仰の基盤は、神が基準である 神が、私、あなたを心に

 かけてくださった、と言うことである。「私たちの間で実現した事柄について…伝えた」(1節)「主の天使が現れ…」(11節)「主は今こ

 そ、こうして、わたしに目を留めてくださいました」(25節)……これ等の一連の事柄は、神の御意志により為され、また、神が私たちの

 方へ臨んで来られたものである。 
  出来事の主体は、常に神である。このことが私たちの信仰の始まりであって、私たちはそのことを忘れてはならない。信仰は、神が主体

 であって、私たちが、神の招き、声掛け、導きに対し、これを真摯に受け止め、どこまで謙遜な態度で従っていくか、神との関係性であろ

 う。