ルカ20:1-19                 2019.1.27
キーワード:捨てられた石が親石となった(17
▢1-8 権威についての問答 
 前章では、子ろばに乗りエルサレムに入場 神殿内で売り買いする商人たちを追い出した。そして、このところでは、境内で祭司長、律法学者達との問答が始まった。 
 「何の権威でそのようなことをしているのか?」と問われたイエスは、逆に質問し「ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか」。その後、両者のやり取りはなく終わっている。
 権威は、他の者を服従させる威力であり、それが優れたものとして一般に認められているものと言われている。権威と混同しやすい権力は、それとは正反対のもので、組織の地位に付随する外から与えられた力で、他者を従わせる強制力と言われる。 
 イエスは、聖霊により身ごもられこの世に誕生された。その後聖霊に満ちて40日間に渡り悪魔の誘惑を退け、ガリラヤに帰られた。「主の霊が私の上におられる。」自覚を持ち、伝道活動を始められた。ヨハネの誕生もイエス同様、母・エリザベトの聖霊により身ごもりにより誕生された。
 このことからも分かるように、誕生当初から、聖霊により神の権威が授けられた。神に繋がることなくして権威は備わらないことは明らかである。
 イエスの伝道活動中、権威が象徴される出来事がある。(ルカ5:1-11)イエスは、何も獲れなかったペトロに向かい、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と促し、指示に従ったペテロは、驚きその場にひれ伏した。イエスの権威を象徴する出来事である。 
▢9-19 権威あるイエスの使命は隅の親石となること
 農夫たちに貸して長旅に出たぶどう園の主人は、旅から帰り、収穫を納めるよう繰り返し促すものの指示に従わず、いよいよ4回目に息子を送ったものの殺されてしまった。
 イエスは、このたとえの話の最後に詩編の言葉「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」を披露された。イエスご自身の今後を示されたのである。ぶどう園=この世は、神のものであることを忘れてしまい、自分たちの思うままに、自分たちの心が満足することだけを求めている人たちである。イエスを裏切り、十字架へと扇動する人となった。人間の人間中心の思い、傲慢により、イエスは十字架の死を迎えることになる。 
 しかし、最後は、「その石の上に落ちる者、その石が誰かの上に落ちればとは、裁かれ滅ぼされる」(18)と、イエスに従わない人は皆滅びると言うメッセージで締めくくられた。
▢むすびとして
1.権威は、神に繋がる人が、神によりいただけるものであり、その人の内側からにじみ出る。外側から権威を備えるのは、権威ある人のよ

 うに繕うもので、仮の権威、見せかけの権威で自然とほころびが現れる。
2.隅の親石は、人目につかない縁の下地力持ち。それだから価値がある。親石の存在を知った人、また、聖霊により、その石に気が付くよ

 うに導かれた人は、御恵みを頂いた人である。この御恵みを大切にしていきたい。