ローマの信徒への手紙16:1-27           2017.3.19 

テーマ:ローマ教会の人々によろしく 

・3節に「キリスト・イエスに結ばれて私の協力者となっている、プリスカとアキラによろしく」の挨拶がある。パウロにとり、この二人は、最も親しい間柄であった。ロマ書の最後のあいさつで、最初に登場し、敬意を表す存在であった。キリストのため大きな彼らの働きを褒めた。 

・プリスカとアキラは使徒言行録に登場する。「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。」(使徒言行録18:1-4) 

  紀元41-54年頃、4代目のローマ皇帝クラウディウスの時、ユダヤ人はローマから締め出されイタリアからコリントへ移った。そこでアキラ夫婦は、アテネからコリントへ移ったパウロと出会ったと言われている。アキラ夫婦は、パウロと同じテント職と言う同業者のため気心が知れ、打ち解けられた。パウロは、アイラ夫妻の家に住み込みで働き、聖日・安息日になると、会堂に出掛け論じ、ユダヤ人、ギリシア人の説得に努めた活動が描かれている。 こんな状況下で、夫婦は、命がけでパウロの命を守った。また、家は集会所として開放し、布教活動を行い、公私共々キリストに捧げている。「私の協力者」と添えたパウロの思いが伝わる。 

・1節から16節まで、パウロは二十六人の名を挙げている。大勢の人々へ挨拶を送るパウロは、これ等の人々が、ローマ教会建設の功労者であると充分認識していた。その一人ひとりに、異なる言葉で、その特徴や功績を挙げているのは、パウロが、これらの人々に対し、如何に深い思いを寄せていたか、また、この人々に対するパウロの謙遜な姿勢、深い愛が感じられる。イエスの使徒として伝道活動に赴くパウロにとり、各地に多くの支援者がいて、この人たちにより、伝道活動が継続できた。 

・会堂のない私たちいわゆる「無教会」信仰のキリスト者にとっても、パウロとパウロを支援する信者の協力関係は、他人ごとではない。現在、最も精力的に活躍され、独立伝道者である徳島聖書キリスト集会の吉村孝雄様は、わたしにとり「現代のパウロ」と見ている。例えば、7月末、北海道での夏期聖書集会が終えた後、全国に伝道活動を展開しながら徳島へ帰られる。全国に立ち寄る各地集会の数は、多い時には20カ所を超える。北海道へ向かう前に、各地の集会代表者へ連絡をし、集会開催の可否を打診、打診を受けた各地集会代表者は会場の確保(場所によっては自宅を開放)し、兄弟姉妹に「吉村兄を迎えての特別集会」の参加呼びかけをする。吉村兄の御言葉を話さずにはおれない神の導きと、各地のキリスト者が吉村兄の生きた御言葉をお聴きしたい気持とが結ばれ、集会開催が実現している。 

□まとめとして 

・私たちは、毎週の主日礼拝に休まずに集うこと、このことはキリスト者として基本的な信仰生活であるが、このほかに、集会の枠を超え、各地で生活する主にある兄弟姉妹との交流、例えば、集会間の交流、兄弟姉妹との交信や祈り合いなど、常々積極的に交わりを維持し、新しい風を送り合い、刺激し合う信仰生活を維持していきたい。偉大な使徒パウロ、それを支えた信徒の仲間の交流は、今を生きるわたしたちにも、即刻適応可能なことである。