コリントの信徒への手紙Ⅰ7:1-24             2017.5.14
テーマ:結婚について
 7章は、結婚問題について、パウロの回答である。当時のコリント信徒たちは、堕落していた。同時に、真面目に純潔なる生活を送りたいと熱望する者もいた。その結果、色々な疑問が生じ、これをパウロに書き送って(1節)その意見を聞こうとした。その疑問とは、結婚生活と独身生活とどちらを選ぶべきか(回答:1-9)、若し既に結婚生活を送っている者、特にその一方が未信者の場合、如何にすべきか(回答10-16)、自己の地位、身分を如何に処すべきか(回答:17-24)、処女及び寡婦は結婚すべきか(回答:25-40)である。パウロは独身を理想とし、自信も独身を貫いたが、その不自然な生活が、罪を犯す基となるようであれば、結婚したほうがはるかによい、と勧めている。
▢1-16 結婚について
 結婚については、男、女を問わず、結婚しなさい。それは、みだらな行いを避けるためである。消極的な理由であるが、それほど人間は、男女間の情欲が強く、また、人間は、自制できない弱さがあることを示す。パウロ個人としては、皆さんもわたしのように独身でいてほしい。しかし、身の振り方は神様から一人ひとりに与えられた賜物あり、一人ひとり生き方、人生の歩みは異なる。それは、神様のみ旨であり、独身も恩恵、結婚も恩恵である。このようにパウロは伝える。

 パウロが、特に独身主義を主張するのは、極めて純粋で明快である。主の再臨が目の前に迫っていると考え、その前に大困難が臨む以上、最早や地上生活及び其の基礎となる結婚生活を考える暇が無い。そのために、キリストにのみ集中して仕えたいため、自身の霊と身体とをその方に捧げることに優ることは無い、それほど潔い生活は他にはない、との考えである。結婚生活は、専ら神に奉仕する事を妨げるので、出来るだけ結婚生活を避けなければならない、と考えた。
▢17-24 主により与えられた身分のままで
 神に召された時の身分のままで人生を送りなさい、これは信者全員に命じることである。割礼を受けた者は、割礼を受けたままでいなさい。あえて割礼を無くそうとしてはいけない。割礼を受けていない者は受けようとしてはいけない。もし入信した時、奴隷の身分なら奴隷のままでいなさい。信仰を与えられたなら、もう身分などに縛られることはなく、自由の身となったのである。更にその人はキリストの奴隷となり、キリストに全面的服従する者となったのである。信仰を与えられた人は、その時からこの世から解放され、キリストの奴隷となったのである。信者は、イエス・キリストが、十字架上で命を捧げた代償により、救われ、今を生きる命が与えられた。よって人やこの世の奴隷になってはいけない。キリストの奴隷となりなさい。例え、この世の身分は変わらなくても、キリストに属する者となったなら、自由の身となり、キリストに仕える奴隷となったのである。この世の身分から解放され、救い主に連なる奴隷の身分に移るのである。
▢まとめとして
①この世の身分は、大して大事ではない。私が住む街に健康増進館施設があり、連日、現役を退いた中高年者が大勢集う。そこには、肩書き

 が取れホッとした人達の姿がある。人生を楽しむ時間が与えられた安堵感に包まれている。背筋を伸ばし、本音を語り合う人達の集いの場

 となっている。裏を返せば、この世の身分・肩書きは、それほど人を縛るものであった、と見て取れる。しかし、信仰の世界に生きる私た

 ちは、神に召され(声を掛けられ)、キリスト者(キリストに所属する人)となり、天の国へ帰るまで、神に仕える人である。
②「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」(ロマ書14:8)と同様「婚姻するのも主の

 ため、婚姻しないのも主のためである」のがパウロの根本的な考えである。