ヘブライ人への手紙7章                     2016.5.22
▢イエス来臨と祭司廃止
 始めにメルキゼデクの紹介である。レビ族の祭司は異なり「いと高き神の祭司」であり、アブラハムを祝福し、アブラハムから物資1割を受けた人である。名前からいえることは、メルキとは「王」、ゼデクとは「義」、そして、サレムとは「平和」の意味があり、義と平和の王である。更に、系図なく、父、母が確認できず、メルキゼデク本人の生涯の初めも命の終わりも解らない。総括して言えることは、神の子・イエスキリストに似て永久に祭司である。このような紹介がされる。
メルキゼデクは、レビの血統でないにもかかわらず、アブラハムから1割受け取り、また、神の約束を受けたアブラハムを祝福した。祝福は、小さい者が大きな者から受けるもので、このことからアブラハムを祝福したメルキゼデクの方が、アブラハムより大きな者と理解できる。  
 今、イエスが、アロン系に代わって、メルキゼデクと同等の大祭司として現れ、レビ系の祭司はモーセ律法と同時に廃止された。というのもイエスは、ユダ族に属する者でありレビ族でないからである。更に、メルキゼデクと同じようなイエスが現れたことで、肉に関する掟の法則によらず、不滅の命の力によって立てられていることが明かとなった。「あなたは永遠にメルキゼデクと同等の祭司である」(詩篇110:4)と証されている。
 レビ系祭司は、罪の赦しや神との和合などを何一つ成し遂げることができなかった。し
かし、イエスによってレビの祭司にまさった希望がもたらされ、わたし達はこの希望により神に近づくことができる。そしてレビ系祭司は、誓約なしに祭司になったが、イエスは、誓約をもって祭司とされた。神なる主は「あなたは永遠に祭司である」と誓われた。 また、レビは、死によっていつまでも祭司の職に留まることができず、そのため祭司になった者の数が多いが、イエスの場合、“永遠に”生きながらえ、彼のもつ祭司職は移り変りがない。従って、イエスによって神に近づく人々を完全に救うことができ、人々のために神に執成しをしようとして常に生きておられる。
 古い祭司は、規定が弱くかつ無益なため、廃止の宣告を受けた。今までの律法は、不完全であったことがわかる。整理すると、新しい祭司はどの点が勝れているのか? 
1.古い祭司は、神に近づくことができない。新しい祭司・イエスは、神に近づく希望がある。
2.古い祭司は、祭司となる場合、何も誓いの規定がない。新しい祭司・イエスは、神が誓いを立て、又イエスがこの契約の保証人である。
3.イエスは古い祭司と異なり永遠に生き、永遠の祭司である。
▢まとめとして……イエスは、「いつでも」「完全に」救ってくださる……
 イエスは,年に一度、大祭司しか入れない至聖所に入った。(6:20)それにより、神殿の諸規定、決まりごとは取り除かれた。祭事を司る祭司は不用となった。律法は、人間を立てて大祭司とした。一方福音は、永遠に全うされた御子を立てて大祭司とした。人間から来たものと神から来たものとの違いである。