2019.9.1   使徒言行録5章1-42節   小田弘平

 

信徒たちは毎日、使徒たちが語る主イエスの復活についての証言を聞き、心を一つにして祈りを共にする生活をしていた。彼らは復活されたイエスはまもなく地上に来られて神の国を作られると信じていた。そのため、エルサレム在住の信者も働かず、祈りに加わっていた。かれらの生活費はどうしたのか。地元エルサレム在住の信徒たちは自分の土地や家を売ってお金に変え、使徒や仲間の生活を支えていた。しかし経済的困窮が目に見えてきた。

 

このような状況下で、起きたのがアナニアとサフィラの問題である。2人はごまかしの罪で「神を欺いた」と断定され、死んだ。信徒たちの経済的困窮が相当深刻な状況にあったことがわかる。使徒たちはユダヤ教の指導者たちの本拠地である神殿のソロモンの回廊で、復活のイエスの福音を語り、多くの民衆はその言葉を受け入れた。病人は「一人残らず」癒やされたという。

 

 

大祭司とその仲間のサドカイ派(上流階級)たちは、民衆が新しいイエス集団に奪われるのを見て「妬み」に燃えて使徒たちを捕らえた。

 

ところが夜中に、主の天使が使徒たちを牢から連れ出した。使徒たちは再び神殿に行き、堂々と民衆に教え始めた。経済的にも宗教的にも抑圧されていたエルサレムの民衆は真実なものを求めていた。一方、牢内には使徒がいないとの報告を受けた神殿守衛長と祭司長たちはうろたえた。彼らの周章狼狽ぶりが見えるようだ。恐らく彼らは自分たちは「神に逆らっているのではないか」と不安と恐れの中に叩きつけられたのだろう。

 

大祭司の尋問に対し、使徒たちは異口同音に「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」と力強く答える。神に従うとは権力者に従うよりも神の意志を表す人間の良心に従うことである。使徒たちは毎日、神殿の境内で復活のイエスの福音を語り続けるのである。