マタイによる福音書21:23-46       2023.9.3

西澤 正文

テーマ:家を建てる者の捨てた石、これが親石となった(42) 

    この章に入り、イエスはたとえで語ります。というのは、イエスは命が狙われているため、誰にも分かるようにではなく、分かる人だけを対象に語る必要があったのです。二人の息子のたとえに続き「ぶどう園と農夫」のたとえが登場します。

    ぶどう園の主人は、十分な準備を済ませ、小作人農夫に貸しました。収穫期が来て、小作料を受け取るため僕たち(予言者たち)を遣わせました。だが、農夫(ユダヤ人たち)は、神により遣わされた予言者たちを皆、次々と殺しました。最後に主人の息子・イエスを送ったが殺しました。是は後にイエスが殺されるという予言です。神はユダヤ人=農夫たちに律法を与えましたが、ユダヤ人は律法を実行せず、予言者を殺してしまいました。

    「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。」の「隅の親石」と

 

は、建築家(大工)が捨てた石。後に、要石とするのに丁度良いとわかり、それを拾って使用した石です。人目につかない縁の下で家=人類を支える要石です。イエスこそ全人類の隅の親石(要石)です。 

    歴史的にも、ユダヤは紀元70年、ローマ(ローマ皇帝:ティトゥスによりエルサレム陥落)に滅ぼされユダヤ人はここから追放され、その土地は他の民族に与えられた。イエスの予言が的中しました。 

    我々にとり、社会から捨てられても、神様はよく見ておられる方です。誠実な心があればいつか手を差し伸べ救ってくださる。だからイエスに従い喜んで捨てられる石になりましょう。

▢むすびとして

    ブドウ園のたとえで、息子=イエスは、捨てられましたが要石の働きをしました。イエスは、今も我々に「隅の親石になるように、全世界の人類の役に立つように」と言っているように思います。