コリントの信徒への手紙Ⅱ1:1-24                 2017.9.17
テーマ:苦難の中に神の慰めが届く(4)
 コリント教会は、色々な問題を抱えた〝出来の悪い″教会であったことは、第1の手紙の中に、その様子が伝えられている。分派闘争や道徳的退廃(不品行、信者間の争い、肉欲)、結婚問題や偶像の供え物の問題、集会内の婦人や晩餐について等など、数えきれないほどの問題が山積していた。
 パウロの伝道期間は約8年、その内、コリントの訪問3回、滞在は明らかでないが、2回の滞在は、1年半と3ケ月と言われている。コリント信徒への手紙Ⅰは、エフェソ3年滞在中に記し、確認できた手紙は少なくとも4通と言われる。このことからして、パウロは如何にコリント教会に心血を注いだか、容易に理解できる。  
 パウロは、精一杯、コリントの人たちのために愛を注ぎ尽くしてきたが、それでも現状は、一向に改善されていない。疲れ果て、気が滅入ってしまいそうなパウロであるが、神にすがり、慰めを与えられた。「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」(4節) 
信仰により慰めを与えられている実感が、パウロにはあった。この神から頂いた慰めを、パウロ自らが、同じ神を信じるコリント教会の人々を慰めたい、との気持が、この4節から伝わってくる。それは同時に、パウロの神への信頼の揺るぎなさを示していよう。 
慰めは、困った時や苦しい時、悲しい時、相手の気持ちが少しでも楽になるよう、和らぐよう言葉掛けする。我々にとってなかなか難しい事で、気遣いしながらも、時には、ますます相手を悲しませることもある。我々にとり慰めの最善は、悲しむ人、不安な人を神様に繋げることであり、また祈りによる支援ではないだろうか。
 パウロとコリント教会の人々は、同じ神を信じる者同士であり、主にあってひとつである。信仰の力は計り知れないほど大きく強い。例え、住む場所、地域、都市、国は異なっていようとも信じる神は同じ、主にあってひとつ。地理的な距離感は消える。キリスト者同士の信頼は、この世では少数派に過ぎないクリスチャンの悲哀、苦しみ、孤独の共通体験も一因しているように思える。
結びとして
 キリスト者の特権とも言える慰め合うこと、祈り合うことは、この世の人々にない理屈を超えた信頼の絆である。これこそ信仰の恩恵であろう。