科学の行方 ―原発事故の真実を問う 

                         講師 政池 明(千葉県) 

16世紀の末、ケプラーは地球が太陽の周りを回るという地動説を発見した時「偉大なるかな、我等の主よ、主の力、主の英知の偉大なることは数えつくせず、褒めたたえるべきかな主の天」と述べている。内村鑑三は「天然は、神がご自身を現さんとして造り給うたものである」と記しているが、更に「宗教なき科学が堕落するに至りては、曲学阿世の科学と成り終わる」と科学の問題点を鋭く指摘している。 

原爆を開発したオッペンハイマーは後年「物理学者は原子兵器を実現したことによって罪を知ってしまった。」と述べているが、その後米国の科学者が原爆の開発に良心の痛みを感じることはなかった。科学者の名誉欲、支配欲が世界を動かし、挙句の果てに人類を滅亡に導くようになることを私は恐れている。 

この度の原発事故は科学者に対する神の怒りであると思う。 

人間は完全でないので必ずミスを犯す。ミスを許さない原子力は人間の知恵による科学技術では到底制御できないものであることを知るべきである。 

事故の影響を過少に喧伝しようとする動きを見逃す事は出来ない。 

放射線被曝が一定量以下なら癌にならないという専門家が多いが、被曝による免疫不全で臓器疾患の発生率が増大することが最近の調査で明らかになりつつある。 

浜岡原発の直下にある活断層が大地震を引き起こす可能性が極めて大きいため前首相は浜岡原発の休止を要請したが、それで問題が解決したわけではなく使用済み核燃料が存在するだけで地震が起きた時大惨事になる。使用済み核燃料や放射性廃棄物の処理は極めて深刻で、世界的にも解決の糸口さえ見当たらない。 

迫害を逃れて米国に移民した再洗礼派のアーミッシュと呼ばれている人たちは昔から電気、ガス、電話、自動車などの文明の利器を使わずに生活している。彼らの生活は豊かではないが、本人達は決して不幸だとは思っていない。文明が本当に人間に幸福をもたらしているのか、もう一度真剣に考えてみる必要があると思う。 

内村鑑三の「デンマルク国の話」の植樹の話を風力発電開発に置き換えて読むと現代の課題がよく分かる。コペンハーゲンの南にあるロラン島で原発建設計画がもち上がったとき、15人の市民がそれに待ったをかけたところ、多くの市民が立ち上がり、遂に政府は原発計画を断念せざるを得なくなった。この時、経済学者メゴーの呼びかけで町工場が集まり、風力発電を始めた。現在、一人当たりの風力発電機の保有数はデンマークが世界一である。だが風力発電は出力が不安定な為、電力を外国に売って、それより高い電力を外国から購入している。そのためデンマークの電気料金は隣国よりやや高いが、国民の中に幸せ感が漂っている。この背景にはダルガスの植樹の精神、ひいてはその源流にユグノーの信仰があるといわれている。 

科学の大前提は神の義に目覚め、それによって人類の幸福を追求する事であると思う。神を畏れず、科学を絶対視するならば、人類は滅びに至る。 

重要な事は神の義を行う勇気をもつことである。正義に反する事に対しては目先の損得にとらわれずノーという勇気を持たねばならない。このような「残れるもの」が人類を正義の道に引き戻す事が出来るか、其の真価が問われている。 

 

私の拙い話に多くの方々が耳を傾けてくださいましたことに心より感謝申し上げます。講演の後に開かれた感話会でも皆様方が真剣に議論してくださり、私自身が非常に多くのことを学ぶことが出来ました。また私の父政池仁の招天後26年が経ちましたが、父の事を覚えておられる方も多数おられ、「天国に行ったら最初にあなたのお父様にお会いしたい」とおっしゃられたのには涙がこぼれました。 

 

つらい時こそ希望をもって 

講師 西澤 正文(静岡県)

 

 昨年に続き今年のクリスマス講演会も晴天に恵まれ、窓越しの富士山は会場に到着する人、一人ひとりを迎えてくれた。当日の参加者は38名、埼玉県の栗原様初め浜松聖書集会からも3名参加された。事前の私の強引な誘いもあってか、昔から交友のある若者、年配者、そして姉夫婦、姉の友達など15名の方が足を運んでくれたのは、静岡地域クリスマス講演会開催の趣旨に相応しい初心者、未信者を対象にキリスト教を多くの方々に聞いていただく良い機会となった。 

 今回「つらい時こそ希望をもって」と題し、創世記1章から2章4節まで、天地創造の完成までを話した。講演に先立ち地元の多くの未信者、初心者を意識し、旧清水市の名誉市民3人、後藤磯吉・はごろもフーズ元社長、松前重義・東海大学元総長、6代目鈴木与平・鈴与株式会社元社長(現在8代目)を紹介した。この内、後藤磯吉を除く松前重義、6代目鈴木与平の2人は若かりし頃、内村鑑三の聖書研究会に参加し、内村から直接キリスト教の教えを受け、旧清水市の実業界、教育界に大きな業績を残されたのは、無教会キリスト教精神によるところ大である、と胸を張った。それと言うのも、庁舎1階ロビー左手に3人の肖像画、胸像が設置され、その近くを通る度、内心誇らしく思う私の心境を伝えたかったからである。 

 聖書に接して今まで、キリスト教の教えは、心から神を愛しなさい、自分のように周りの人を愛しなさい、神を忘れたり無視したり自分本位の考えで行動するのは罪であって、その罪を取り除いてくださるのはキリストであるから、ことあるごとに祈り、キリストに立ち帰りなさい、このような教えをよくお聞きした。しかし正直言えば、頭からこの真理を繰り返し教えられ、私なりに受け入れて来たもののどうしても今一つ、心の底では、「私と神・イエスキリストの関係」は、真綿で結ばれているような居心地良いものの、シャキッとした結びつきを持てなかった。私自身、信仰の根底をしっかり掴みたい願いもあり天地創造を話した。 

 第一日目から第六日目まで神のなさる仕事は、「言われた」との命令から始まる。第一日目「光あれ」第二日目「水の中に大空あれ」第三日「天の下の水、一つに集まれ、乾いた所が現れよ」(海・陸を造る)第四日「大空に光る物あり、昼夜、季節、日・年のしるしとなれ」第五日「生き物は水の中に群れ、鳥は地の上、天を飛べ」と、神は順次計画を遂行された。そして第六日「地に家畜、這う物、獣を生み出せ」の後、いよいよ人を創造する時「人を造ろう、そして動物、植物、全ての生き物を支配させよう」の計画に至る。こうして被造物最後に登場するのが人であり、「自分にかたどって、人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」と神の姿に似せ人を創造され、一連の事業を終える。完成された人の作品を目の前に、祝福し、極めて良かったと感想を述べられる。仕事を終えた第七日に一切の仕事を離れ安息の日、祝福の日を聖別されて天地創造が完了される。 

 このようにみると神の天地創造の目的は、第六日目の人を創造することであると言える。一日目から五日目までは、人を創造するための環境を整える期間であった。五日までの作業を終えた神の言葉は、単に「良かった」であったが、六日には「極めて良かった」とあり、神の御心が伝わってくる。更に五日目の最初の動物誕生時を除き、全て単なる物を“造る”であったが、この時に及んで、三度続けて新たな物を誕生させる意のある“創造”であり、人の誕生の重要性が伝わってくる。 

 神は御自身の強い意志によって我々人間を一人ひとりを創られ、地球上の被造物の中でも最高傑作の作品として完成させたのである。神の天地創造の意志が、人の創造に結実されている。天地創造は、神と人の関係表明なのである。 

 12月今年売れた書物のベストセラーのニュースを聞く機会があった。その中で「くじけないで」の百歳の著者柴田とよ様のインタビューが報じられた。大震災に遭遇した被災者、また国民に向けて「神様がきっとまた助けてくださいます」とおっしゃられた。素晴らしい言葉で正にキリスト者の言葉であった。 

 広い宇宙に沢山の星が煌めく中で、神様は敢えて青く輝く地球をお選びになり、祝福され神の手により一人ひとり命を与えられた人。神が自らの手により創造された人であるから、神は御心に沿う人には、責任をもって守り助けてくださる。どんな時にも神は決して見捨てることなく助けてくださる絶対的信頼こそ希望の根拠である。 

 

(参加者感想)                                            石川 誠 

父石川昌治がクリスマス講演会に参加できなくなって何年経つのかよく知りませんが、かつて父の語った講演を聞いた記憶はかすかに残っています。今回、父の信仰の父として敬愛する政池仁先生の御子息の政池明氏の御講演とあってか久々に集会の誘いに応じました。私は、父のアッシーとしての参加のつもりではありましたが、願いとしては91歳で講演された故石原正一氏のごとく「再び父の話を聞きたい。」との希望をもっています。ご講演の内容については、ほとんどわからなかったようですがお目にかかれたことが大変うれしかったようでした。父と一緒にあと何回クリスマス講演会に参加できるかは「主のみぞ知る」ですが与えられた使命を全うできることを祈るところです。また、西澤先生の朝日ジャーナルを通して矢内原忠雄に導かれたことを初めて伺い、主の導きの奇しさとすばらしさを思いました。また、感話のときに、西澤先生に関係する方々の多さに驚くとともに御講演の中にあった「一人でも多くの方にキリスト教を知っていただきたいと思っている。」ということを実践されている姿に感銘を受けました。今後も父のアッシーとして参加できる機会と父の話を聞く日の来ることを待ち望んでいます。  

保科 たみ 

2011年12月18日、祈りながら待ちに待ったクリスマス講演会が与えられました。講師は、西澤正文氏、政池明氏でした。西澤氏は「つらい時こそ希望をもって」と題して、創世記1章をお話ししてくださいました。人間を創造された神様の御心を知り、世の厳しい中にあって希望をもって生きることを示されました。また、私たちを創られた神様の御心を常に心にとめて生きなければならないと思いました。政池氏の講演は「科学の行方―原発事故の真実を問う―」というものでした。お話を伺い原発の恐ろしさを知らされ、キリスト者として生きるべき方向を教えられました。この様なお話を一人でも多くの方に聞いていただきたいと願ったものでした。 

講演会終了後、有志一同と共に会食をし、証しなどお伺いし、楽しい有意義な時を与えられ、すべての事が感謝の中に終わりました。

 西澤 かず江 

政池先生の話はとても分かり易かった。創世記に「神により、自然と人が創られた」とあるが、原発の事故は創造主・神の存在を忘れた人の驕りの結末であったように思う。私たちの生活は、人間の手で作った文明の最先端の作品によって支えられている。私の生活を振り返っても、電気、自動車、ガスなどを使用しない生活は考えられないし、実生活の中で歩く距離といえば、ほんのわずかである。現代の我々の生活は、利便性のみを考え、自然から学ぶことを忘れ、自然からかけ離れた生活になっているのではないかと感じた。「神は試練と共に耐えられるよう、逃れる道を備えていてくださる」ことを信じ、この原発事故が大きな転換期になり、人類が滅びことのないよう願っています。

 

2011年の締めくくりを、静岡地区無教会の方々の協力により、出席者皆様と共に恵み豊かなクリスマス集会となり、神様を賛美できたことは只々感謝でした。