詩編 74編             2014.2.23

 

テーマ「神よ、決して忘れないでください」

 

バビロン捕囚から帰還したイスラエルの民が、荒廃したエルサレム神殿を目の当たりにし復興を願い、なぜ私たちを捨てられ、今も顧みられないのか、と嘆きつつも救いを願う祈りである。

 

※バビロン捕囚とは(バビロン:聖書地図1)「バビロニア人が,ユダとエルサレムの住民の大多数を捕らえバビロニアに移した事件のこと。〈バビロニア捕囚〉ともいい,第1次捕囚(597)または第2次捕囚(586)から,ペルシャ帝国初代王・キュロスの神殿再建許可の勅令(538)または神殿完成(515)までをイスラエル史における〈バビロン捕囚時代〉という。」

 

1-3神よ、なぜあなたは 養っておられた羊の群れに怒りの煙をはき 永遠に突き放してしまわれたのですか。 どうか、御心に留めてください すでにいにしえから御自分のものと 御自分の嗣業の部族として贖われた会衆を あなたのいます所であったこのシオンの山を。 永遠の廃虚となったところに足を向けてください。敵は聖所のすべてに災いをもたらしました。

 

あなたは、あなた自ら選ばれ懇ろに愛された羊の群れ(イスラエルの民)を怒り、その怒りを納めないのか。昔からあなたご自身が買い取られた民を、あなた自身が住まわれるこのエルサレム神殿を、どうぞ今新たに御心に留めてください。敵軍に徹底的に破壊されたエルサレム、神殿をしっかりと見つめてください。敵はあなたの住い全部を破壊し尽くした。詩人は、この敵軍によっていいように破壊された現状をしっかりと心にとめてください、と訴える。

 

4-8あなたに刃向かう者は、至聖所の中でほえ猛り 自分たちのしるしをしるしとして立てました。 彼らが木の茂みの中を 斧を携えて上るのが見えると ただちに手斧、まさかりを振るって 彫り物の飾りをすべて打ち壊し あなたの聖所に火をかけ 御名の置かれた所を地に引き倒して汚しました。「すべて弾圧せねばならない」と心に言って この地にある神の会堂をすべて焼き払いました。

 

3「すべてに災いを‥‥」の具体的な内容が4-8である。あなたを攻撃する者は神殿の中に押し入り大声で叫び、勝利の印に自分たちの軍旗を掲げた。敵は森の木を切り倒すかのように斧を持ちやって来て、到着するや否やすぐに斧、マサカリで神殿内にある彫刻の飾りつけを叩き壊し、その後火をつけて地上に倒壊させた。(その様子は列王記下25:9-10に記されている。)敵軍の兵は「すべてを破壊しなければならない」(9)思いで、エルサレムにある民が集まるすべての会堂、集会所を焼き尽くした。敵の暴力的行為を詳細に語る。

 

9-17わたしたちのためのしるしは見えません。今は預言者もいません。いつまで続くのかを知る者もありません。 神よ、刃向かう者はいつまで嘲るのでしょうか。敵は永久にあなたの御名を侮るのでしょうか。 なぜ、手を引いてしまわれたのですか 右の御手は、ふところに入れられたまま。 しかし神よ、いにしえよりのわたしの王よ この地に救いの御業を果たされる方よ。あなたは、御力をもって海を分け 大水の上で竜の頭を砕かれました。レビヤタンの頭を打ち砕き それを砂漠の民の食糧とされたのもあなたです。あなたは、泉や川を開かれましたが 絶えることのない大河の水を涸らされました。あなたは、太陽と光を放つ物を備えられました。昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです。あなたは、地の境をことごとく定められました。夏と冬を造られたのもあなたです。

 

敵軍に攻め尽くされた今、あなたの民であると示すしるしとなる物、礼拝の場(会堂、集会所等)などを見ることはない。あなたの御言葉を取り次いでくださる預言者もいない。この惨状がいつまで続くのか、それすら知る人は一人もいない。神様、我々に刃向う者たちの攻撃の手は、いつまで続くのか?敵は今後もずっとずっとあなたの存在を無視し、傍若無人な行為を続けるのか? 神様、何故あなたは手を引き、何もしないのか? 何故あなたの力を胸にしまったままでいるのか?

 

あなたが地上に示された一つ一つの御力を思い起こせば、わたしは今もあなたへの信仰を失わない。あなたこそ原始の怪物を追撃し、天地を創造された方、太陽や星を創造して宇宙を形成された方、ご自身の民をエジプトから贖いだすため海を分けられた方、民を約束の地に入らせるためにヨルダン川をせき止められた方であるからです。逆境を耐え抜く力は万物を創造され、自然界の秩序を支配する創造主である。わたしは王である主に対し完全な服従を尽く。創造主こそ最後の頼みだからである。このように逆境にあってなお神に信頼することこそ真の信仰なのである。

 

18-23主よ、御心に留めてください、敵が嘲るのを 神を知らぬ民があなたの御名を侮るのを。 あなたの鳩の魂を獣に渡さないでください。あなたの貧しい人々の命を 永遠に忘れ去らないでください。契約を顧みてください。地の暗い隅々には 不法の住 御名を賛美することができますように。神よ、立ち上がり 御自分のために争ってください。神を知らぬ者が絶えずあなたを嘲っているのを 御心に留めてください。あなたに刃向かう者のあげる声 あなたに立ち向かう者の常に起こす騒ぎを どうか、決して忘れないでください。

 

神は絶望を祝福に変える力を持っておられる方、しかし、今は沈黙され、神の民が砕かれ、主の神殿が荒廃するままに任せておられる。「主よ立ち上がってください、あなたの民が嘲笑されるのはあなたの御名が侮られること、あなたの神殿が廃墟のままであることは御名が汚されていることです」と、詩人は必死に訴えている。現実の政治に展望が開けず、神に見捨てられた状態がすぐに終わるとも考えられない状況下で、詩人は混沌から秩序を生み出し、イスラエルをエジプトから贖いだされた方への信仰を失っていない。この信仰がある限り、人はどのような絶望からも立ちあがることができる。 

 

2011.3.11の東日本大震災は、一瞬のうちに、一緒に住んできた家族の命が、家が、土地が、資産が、先祖が眠る墓が、隣人が、友が、町が、育ててくれた故郷の田園、山が消えた。そして避難所での生活となった。慰め合い、支え合い親しくなった人たちが、考え抜いて非難所でない次の新しい土地へ引っ越す。ゼロから(家族を失い、近所の親しい人達を失い、故郷を失い再出発の場所 実際に今どうなっているのか頭の中は混乱が続き整理できないであろう。それでも被災者は東北人らしく粘り強く我慢し、希望を失わずに生活している。この震災被害者の姿が74編の神の救いを待ちわびる民の姿と重なる。

 

むすびとして

 

私たちは、地上のことばかりに目や心を奪われてはならない。目、心を神へ向け、信仰生きることこそ大切である。天地万物を創造された神を仰ぎ、祈り、讃美し、聖書の御言葉を思いだし口にし、

 

黙想し、黙祷し、静寂の時間に身を置くことが神への信頼につながる。パウロはロマ書で同じ心境を述べている。ロマ8:24-25わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるも

 

のに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。