マタイによる福音書-20:1~34      2023.8.13

西澤 正文

テーマ:「ぶどう園の労働者」のたとえ

 イスラエルの一日の活動時間は、朝の6時から夕方の6時までです。主人が夜明けに出掛けて行き、1日1デナリオンの日当を提示し、主人・労働者双方合意による雇用契約により労働者をぶどう園へ送り出しました。次の人は、9時、更にその次は12時、3時に送り出しました。夕方5時頃、まだ立っている人がいました。主人は「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言って送り出しました。

 朝早く声が掛かった人は、今日も日当が手に入り妻子に食べ物を提供できると安心されたであろう。その一方で、5時になっても市場で立ち尽くす人は、内心、あと1時間で働けなくなり、雇用主の現れるのをひたすら待ちました。諦めて帰らず、5時までじっと現れるのを待ちました。時刻が迫る中、諦めず信じ続けようとする姿が浮かびます。「あなたたちもブドウ園に行きなさい」この声が耳に届いた時、泣きたくなるような深い感動が沸き上がったであろう。

 

    1日の労働が終わり、労働者が帰って来ると、主人は監督に「最後に来た者から順に賃金を払ってやりなさい」と命じた。主人の思いは、最後に来た者から渡し、家路につかせたい、そんな思いがあったであろう。すると最初に出掛けた労働者が「この連中は、一時間しか働きませんでした。……この連中と同じ扱いにするとは。」と不満をぶつけました。主人は言いました。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。」主人は、労働者を「友よ」と呼びました。何と慈愛に満ちた言葉でしょうか。残念ながら日本の大企業とは雲泥の差があります。

  主人は、一人ひとりと雇用契約を交わし、1日1デナリオンを支払うことを約束された。ですから契約を交わせば他人と比較はできません。主人は一人ひとりの主体性、意志を重んじっれます。

▢むすびとして

   ぶどう園の労働者と同様、天国は、この世の最後の一息を終えるその時まで、神を信じ切る信仰を堅持した者が迎えられるところです。