2016年10月8日下伊那集会訪問           

 10月8日の土曜日は、朝からしとしと雨が落ちていた。それでも会場の松下姉宅に着く頃は雨も止み、ホッとした気分で玄関前に立った。ドアを開ければ、千曲市から来られた関聡様の姿が目に入り驚いた。開催時間の10時には、9名の兄弟姉妹が参集された。イエスキリストの福音を、また、信仰生活に大切な祈りに解りやすく伝えたい、そんな思いから祈りについて話した。
はじめに
祈りは、キリスト者の特権であり、いつでもどんなときでも祈ることができる。また、神と正面から向き合う大切な時間であり、祈りの有る生活は、キリスト者にとり、とても大切なことである。神と2人だけであるので、形式張らず、自由に、本心、本音を赤裸々に祈ることができる。
▢絶えず祈りなさい 
 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケ信徒への手紙Ⅰ5:16-18)は、キリスト者の信仰生活の目標である。何時、如何なる時でも喜び、祈り、感謝する生活を送りなさい。常に神様に心を向け生活しなさい、神様と共に生活しなさい、の励ましであり、キリスト者の心の支え、勇気の源である。
▢イエスの祈り 
 イエスは、短い生涯の中で、いつ、どんな時に祈ったであろうか。
①「イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。」(ルカ5:15-16) 福音伝道を始めて間もない時、人々は今まで出会ったことのない力ある御言葉を語り、御業により病を次々と治すイエスを探した。次は私も助けていただきたい、その一心で多くの人々が表れた。「だが」の言葉が示すように、集まって来る人々を遮り、イエスは祈りの時間をしっかり確保されたのである。 
②「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)ここも伝道を開始して間もない頃のことで、ペトロの家に行き、高熱に苦しむ母を助けるため、その晩泊り、翌朝未明の内に祈りの時間を持たれた。今日一日も忙しくなることが予想され、夜明け前に神に向き合う静かな時を持たれた。 
③「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。」(マタイ14:22-23)ここは5千人にパンを与えた後のことである。しかしこの行動を為す前、イエスは、洗礼を受けたヨハネが殺されたと知り、心に傷をいやすため、またイエス自身の福音開始時期を神に問うため、ひとりになりたかったのであるが、大勢の群衆に出くわしたのであった。為すべきことを終えた後も長時間の祈りの時を確保したのである。 
 これらのイエスの祈りを振り返えると、どんなに忙しくても、祈りの時間を確保された。「絶えず祈りなさい」の人であった。
▢イエスが讃える祈り 
 自分は正しい人間である、と自負してやまないファリサイ派の人の祈りの後、徴税人が神殿の前で祈った。「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』」(ルカによる福音書18:13)自らを「罪人」と神に告白し、地を這うような低い姿勢で祈られた。
▢まとめとして
 多忙極まりないイエスは、時間を見つけてではなく、何よりも優先して祈りの時間を作り、苦難を抱えた人の友となり続けた。「常に祈りの時間」を確保された。また、孤独で辛い生活を送られた徴税人のように、罪人の自覚をもって謙遜な心で、簡潔に率直に神様に祈ること、このことの大切さを改めて自覚し、今後の信仰生活を送りたい。

-感想-
(M姉)今日は祈りについての話し 感じたことは、苦しい時は幸いなりで、この時本当の祈りができる。信仰的にまだまだ未熟だが、一生懸命「天の神様」と祈りたい。
(H姉)毎日の暮らしで、苦しい事、楽しい事がある。神様は、祈る前から感じておられる。普段、松下さんとの付き合いで「祈っていいます」と聞く。嬉しい。私は、祈りの姿勢が足りない。困った時、祈りの大切さを感じる。
(H兄)今年11月18日を迎えると88歳。感謝しても感謝しきれない。今日の案内は、50数年前肖像画の井出白楊の御縁かなと思う。多田義国様が私の経営するホテルを利用され、集会を紹介された。神は素晴らしい約束をしてくださる方である。
(S姉)私は祈らない日はない。しかし、いつも、心から祈っているわけでない。いろいろな祈りをしているが、苦しい時の祈りが一番本物と思う。祈りが神に通じている時、体で分かる。通り一遍の祈りは通じていないと分かる。人のために祈りたい。聖書も読んでいきたい。聖書を見なくてもパッと御言葉が出るようになりたい。松川の集会は、皆様が集まってくださっているから実現している。母の信仰が支えられていると思う。  
(N姉)皆さんの参加が感謝。88歳の松下さんが集会開き、関様ご夫妻も遠くから参加された。困った時に祈っていただき、一番感謝しなければならない私がいた。堀尾様とお会いでき、いろんな所で信仰が生きていることを実感した。画家の井出さんは清水市に住み、結婚後、私たち夫婦のために家庭集会を開いて下さり、言葉に言い尽くせないほどお世話になったかけがえのない方。巨堀尾様とお会いでき、どこに縁があるかわからないと感じた。