ヘブライ人への手紙5章                   2016.5.1
▢人は自身の弱さ故、他人を思いやることができる
 イエスは、我々と同じ人間として、30年余地上生活を送られた。この地上生活を通し、人間的欲望を知り、人間の苦しみ、悲しみ、不安など全てを体験し、イエス御自身も試練に遭われた。イエスは、大祭司として神から任命された。我々と同じ試練に遭われたため、人間の弱さを知った。その体験により人間の弱さに対し、同情出来るお方であられた。(4:15)また、人の辛さ、寂しさ、悲しさに心を寄せることができるお方であられた。そして、神に対し絶対的な受け身であることを十分認識し、神は偉大な方、人間は弱い者であることを知り尽くされた。
 先日の4月26日、プロ野球・広島カープ新井貴浩選手が2000本安打を達成したことが大きくニュースで報じられた。大記録達成間近に同僚の黒田投手が「まさか、あの(新井貴浩選手)人が……」と、新井選手応援のためユニホームを作りチームメイトが着用して練習し、チームを挙げて応援した。それに感激した当人が、ユニホームを作った黒田投手へ「センスいいですね」と感激のコメントを残した。チームメイトの新井選手評は、守備は下の下、打撃も中の下、体力のみ並み、しかし努力の人で、プライドなどなく若手と同じように一生懸命泥にまみれ練習する人であったとの事。4月27日朝日新聞「ひと」欄に、こんな記事が掲載されていた。「一番印象に残る安打は、最下位に終わった2005年、消化試合での1本である。尊敬する黒田投手の最多勝を確実にした勝ち越し3塁打であった。『誰かのための方が喜びも大きい だから覚えているんでしょうね』広島に誘われて1年半、本拠地マツダスタジアムでいま、最も大きな声援を浴びる。」 このニュースを拝見し、新井選手大記録達成の最たる理由は、自身の弱さ、小さき者を自覚し、奢ることなく、ひたすら一生懸命練習を積み重ねた結果であったことを知る。
 大祭司職は、自ら志願してなれるものでなく、神から命じられて就くもので、任命権は神であり、職につく者は、受け身の立場にある。
それならどうしてイエスは大祭司職になれたのか? それは、イエスの神を畏れ敬う態度による。「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら祈りと願いとをささげ……その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」(7) 神を畏れ、敬うことは、キリスト者の原点、根源的姿勢であり、それは神への絶対服従である。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6-8)
▢まとめとして
 わたし達は、神様の前に立ち、神を畏れ、常に自分自身の弱さ、至らなさ、罪を犯す不完全な人間であることを示されることが大切である。そして、傲慢にならず謙遜な心を忘れずに生活していくことである。そのような者に対し、神、イエス・キリストは、常に近くに臨まれ、その人を守り、支えてくださる。