静岡クリスマス講演会 

 西澤 正文(静岡県) 

 12月15日開催の講演会を控え、1週間前の主日礼拝では、集会内で役割とその担当を決めた。そしていよいよ当日を迎えた。清水聖書集会にとって他所からお客様を迎える1年に1度の大イベント、心なしか皆少し緊張した面持ちで講演開始1時間前に全員集合。当日は穏やかな快晴の日となった。それぞれが担当の仕事に就いて15分後には完了し、受付付近に立ちお客様を出迎える。しかし出迎えの主役は、窓越しの真っ白な雪に覆われた富士山である。開催日時を昨年の土曜日午後から日曜日午前の変更により、参加者に影響が出るのではないかと内心不安であった。名簿には41名の名前が記されていた。会食と午後の感話会参加者は25名と予想以上に多く嬉しかった。これも今年第50回を数えた「静岡県下無教会信徒の集い」に連なる浜松、焼津、静岡各集会からの参加による陰の支えがあるからである。本当にありがたく思う。感話会では初めての参加者もその場の雰囲気に溶け込み、堂々と平和の尊さを述べられた。それと言うのも、田村光三先生が聖書の御言葉や平和の戦いをした内村鑑三、浅見仙作、羽仁もと子の言葉を紹介しながら「平和があるように」の講話をお聞きした感動が、まだ残っていたからである。田村先生の前に私・西澤が少し語った。 

「クリスマスに思う」 

ひと昔前、冬の夜の街は、何処も人影もまばらで寂しかった。そして今、色々な光を放ち明るく輝くイルミネーションの美しさに誘われ、冬の夜の街は、多くの人出で賑わうようになった。それに上手く便乗して日本の12月は、“クリスマス商戦”の季節でもある。クリスマスが過ぎ年末を迎えれば先祖の墓参り、年が明ければ神社へ初詣、正月三が日が過ぎれば再び神社へ合格祈願、3月春の彼岸を迎えれば寺の墓参り等など、我が国民は、季節が巡る度に寺、神社へ足を延ばす。12月の季節は、街、職場、家庭は一見華やかであるが、“クリスマス”の看板を掲げ、雰囲気だけを楽しむ季節の風物詩である。せめてこの時だけでも、寺、神社のように教会や聖書集会に足を運び、イエスの誕生を心から祝する時が訪れないだろうか。欧米をはじめキリスト教国の教会の静かな時間の中で厳かなミサが行われる光景を見るにつけ、雰囲気だけに酔いしれるわが国民性に寂しさ、空しさを覚えるのもこのクリスマスの季節である。また、国内キリスト者数1%未満を痛感するのもこの季節である。

 

イエスは、おおよそ紀元前6年から4年頃、初代ローマ皇帝アウグストの一領分となったユダヤで誕生した。皇帝は、支配下に置いた地方毎に、税金の徴収に漏れが無いよう住民登録の勅令を出した。一方、地元ユダヤの有力者達は、このローマ皇帝の勅令に対し不快感をあらわにし内乱が頻発し、独立を画策する動きがあった。このようなローマ帝国に対する不満が過熱している時にイエスが誕生したのであった。政情不安の只中、そして飼い葉桶という時も場も過酷な状況下において、イエスがこの世に産声を上げたのである。

 

その後イエスは、ガリラヤ湖周辺の緑豊かな農村地帯において大工の子、青年として健やかに成長し、30歳頃に公の伝道活開始を迎える。イエスは貧しい人、病・障害を抱えた人、孤独な人、弱い人、徴税人のような嫌われた職業に就く人等、救済を必要とする人々を対象に分かりやすく福音を解いた。イエスの威厳に満ちた力強い真理の説き明かしは、直ちに人々の心を捉え、イエスを囲む人の群れは日ごとに増大した。そしてイエスは当初からの神の御計画に従い、十字架に架けられ御国へと帰られた。

 

イエスが天に帰られ二千年が経った現在、地上には20億人以上の人々がキリスト教を信じ、その数は現在も増加傾向にある。また聖書は地上最大のベストセラーであり、止むことなく増刷されている。これは何を意味しているのだろうか。文明が開け、科学技術が進歩し機械化が進み、生活が便利になったものの、人間の心は一向に安定せず、否、益々心のよりどころを求めていることを物語っている。アイホーン、携帯電話などを利用し、リアルタイムで写真、メールを送り、多くの人達と心を通わしているかのようである。しかし実際のところ、心の結びつきは表面だけである。交わりに深みがなく、形だけの関係を楽しんでいるのである。便利な文明の利器が進めば進むほど、人は益々孤独を深めているのである。

 

そんな中、今日の講師・田村光三先生が最近出版された「岩村昇 ネパールの人と共に歩んだ医師」を手にした。本の最初に記載された岩村医師の言葉に感動した。「戦う(生きる)条件がきびしいだけに、素朴な関係がにじみ出てくる人間関係の美しさ。世代(年月)を重ねた苦労の中から生み出された民族の知恵、私はネパールの人たちからどれだけ教えられたことか。」(括弧内西澤訳)この岩村医師の文を読んだ時、暫くこの文に釘付けになった。厳しい生活環境の中で生きるということは、周りの人との繋がりは単純化され、必然的に互いに助け合う関係が生まれてくるという。何と素朴な結びつきだろうか。先ずは、“生きること”、そのために支え合うこと、同じ人間として当たり前であるというのである。

 

岩村医師の文を現代に置き換えると「競争社会の中で生活しているために、利害が絡み合う人間関係の醜さ。際限なく膨らむ人間の貪欲さ、私は今日の先進国の人々を見るにつけ、いつまで失望し続けれなければならないのか」といえるであろう。

 

イエスが地上から姿を消し、その後聖書が残った。イエスの誕生を祝うクリスマの日、多くの方々と共に聖書を学べたらどんなに素晴らしいことだろうと思う。 

「平和があるように」       講師:田村光三(埼玉県) 

聖書箇所:マタイによる福音書10:5-12「天の国は近づいた」「平和があるように」

(1)平和のために働く

 人々が平和実現のために様々な手段や形をもって努力することは良いことである。しかし、歴史を振り返ってみると、「平和のために」と称し、どれ程多くの武力が行使され、革命や戦争が起こされたことであろう。彼らは、これを「正義の戦争」と言う。武士の家に生まれた内村鑑三も、日清戦争は清国の朝鮮出兵に対して、隣国朝鮮を守る意味で「義戦」であるとし、英文で「日清戦争の義」を草し、世界に向かって訴えた。だが、この戦争の結果、日本が勝利を収め、「日清講和条約」が締結され、朝鮮の独立は承認されたが、日本は台湾および遼東半島の割譲と2億テールもの賠償金を要求したのであった。そして日本は、その賠償金をもとにして世界に肩を並べるほどの軍拡化と資本主義化を遂行していったのである。このような痛切な歴史的経験を経て日露戦争を前にして内村の戦争観は大きく変わった。「余は日露非開戦論者である許りでない、戦争絶対廃止論者である。戦争は人を殺すことである。爾うして人を殺すことは大罪悪である。爾うして大罪悪を犯して個人も国家も永久に利益を収め得よう筈はない。」(「戦争廃止論」『萬朝報』明治36)内村によれば、「剣をとるものは剣にて亡ぶべし」との教えは、神の掟であると同時に、「天然の法則」であり、「自分の生涯の実験」であり、「歴史の教訓」であると言う。 

(2)我々は今どこに立っているのか 

 日清、日露から始まり、第一次世界大戦と第二次世界大戦、そして、その前後には、世界各地域に噴出した内戦と民族的・宗教的紛争。世界は、この100年を通して、1年たりとも硝煙の臭いと流血の叫びのない年があったであろうか。そういうことを考えるとあの、イザヤと共に「いま夜の何時ですか、一体前途に夜明けがあるのですか」そう問わざるをえない。 

(3)人間の持っている深い問題性 

 「戦争は経験なきものには甘美である」と書いたエラスムスは、戦争こそ反キリスト教的であり、「最も忌むべき」、「卑しいこと」であるとして、徹底した非戦論を展開している。彼は、その「平和の訴え」(岩波文庫)の中で、神学者、司教、君主、そして、すべての市民に対し、「平和の福音を解いて下さい。」「すべての人よ、心を一つに合わせて、戦争反対の狼煙を上げて下さい。」と訴えている。 

(4)現代日本政治の問題性 

 翻って現代日本の安倍政権は、「強い日本」「世界一安全な国」を作ることを目標にし、いわゆる「3本の矢」からなる「アベノミクス」を打ち出し、加えて「積極的平和主義」とか、「集団的自衛権」などを高唱し、さらに次の矢、次の矢を隠し持っていることが日ごとに明らかになりつつある。憲法96条、ひいては9条の改悪、「国家安全保障戦略」、「新防衛大綱」や「武器輸出三原則」の見直し、「特定秘密保護法」の可決などなどである。戦前、官憲による「治安維持法」の恣意的拡大解釈によって、多くの平和主義者が不当な弾圧をこうむった暗い歴史が思い起こされる。まさに、浅見仙作先生が言われたように「‥‥あさましや鎧の上に僧衣(ころも)きて口には平和、手にはばくだん、世の人は鬼につかれし豚のごと崩れ打て淵に溺れぬ、侵略と互いに罪のなすり合い‥‥一旦門前に揚げたる戦争放棄、平和愛好、道義立国等の新憲法的金看板に泥を塗り、また東条さんの再生を希うような気分をほのめかしつつある。嗚呼危ないかな。今し東洋の大空に、メネメネ、テケル、ウパルシンと奇しき指もて記されあるを見づや。祖国民よ、覚めて、帰れよ、神とイエスキリストに」(「純福音」昭和26年1月号) 

(5)平和への備え 

 戦争の準備をするのではなく、この世に一日も早く平和が来るように、切にその準備をすることが、今こそ求められている。内村は、「非戦論の原理」の中で、「天然界は決して強者必盛、弱者必滅の世界ではない。」、「返て平和の宣伝者である。」と書いている。(「内村鑑三全集」16.20頁) そして、「永遠平和のために」を書いたカントも、自然は「永遠平和を保障する。」と書いている。「自然は、人間性本来の傾向を通して、永遠平和を保障する。なるほど、この保障は永遠平和の到来を予告するものではない。しかし実践の方向は示してくれる。要はわれわれが、この目的に向けて努力すかどうかなのだ。」(カント「永遠平和のために」中山元訳、光文社、古典新訳文庫、2007年 210頁) 平和は平和によって来る。単に「平和」「平和」と声高に叫ぶだけではなく、日毎に絶えず平和の準備をすることこそ、今最も求められているものである。「自分の日々の生活は戦争の用意をしているのか、この世の中の平和の基礎を築いているのか」を考えよ、と羽仁もと子は言う。(「戦争と平和」羽仁もと子著作集19、「友への手紙」130-141頁) 

(6)イエスの勧め 

 イエスは、十二弟子に対して、町や村を訪れ、その家に入ったら、「平和があるように」と挨拶しなさいと勧められた。(マタイ10:12) イエスの弟子たちは、この勧めに従って、平和を身近なところからつくりあげ、世界にくまなく平和が訪れるようにと祈りつつ、日々働いていたのである。しかし、イエスは、それよりも先に、その十二弟子たちに対して、町や村に入って行って「天の国は近づいた」と宣べ伝えなさい、と命じられた。

 

 平和な町や村、平和な国、そして世界平和のために働くことは大切である。しかし、それ以上に大切なことは、「天の国は近づいた、悔い改めて福音を信じなさい。」と勧めることである。