詩編89編20-53        2014.7.13

 

89編20節以降の中心テーマは神の選びである。

 

―神の選び―

 

20あなたの慈しみに生きる人々に かつて、あなたは幻によってお告げになりました。「わたしは一人の勇士に助けを約束する。わたしは彼を民の中から選んで高く上げた。21わたしはわたしの僕ダビデを見いだし 彼に聖なる油を注いだ。 22わたしの手は彼を固く支え 

 

わたしの腕は彼に勇気を与えるであろう。 23敵は彼を欺きえず 不正な者が彼を低くすることはない。 24わたしは彼の前で彼を苦しめる者を滅ぼし 彼を憎む者を倒す。 25わたしの真実と慈しみは彼と共にあり わたしの名によって彼の角は高く上がる。 26わたしは彼の手を海にまで届かせ 彼の右の手を大河にまで届かせる。 27彼はわたしに呼びかけるであろう あなたはわたしの父 わたしの神、救いの岩、と。 28わたしは彼を長子とし 

 

地の諸王の中で最も高い位に就ける。 29とこしえの慈しみを彼に約束し わたしの契約を彼に対して確かに守る。 30わたしは彼の子孫を永遠に支え 彼の王座を天の続く限り支える。

 

 この地上において神の力は絶対的なものであり、神が決めたことがどんなことがあっても実現する。神はこの世の指導者として一人のものを選べば、神の約束においてその者を守り抜く。この神の御力を信じることができれば、心の拠り所を得てこの世において恐れることはなくなる。

 

―わたしは必ず約束を守る―

 

34それでもなお、わたしは慈しみを彼から取り去らず わたしの真実をむなしくすることはない。35契約を破ることをせず わたしの唇から出た言葉を変えることはない。 36聖なるわたし自身にかけて わたしはひとつのことを誓った ダビデを裏切ることは決してない、と。 37彼の子孫はとこしえに続き 彼の王座はわたしの前に太陽のように 38雲の彼方の確かな証しである月のように とこしえに立つであろう。」〔セラ

 

神は自ら約束したことは決して破ることはない。例え今目の前の現実が約束とほど遠いものであっても、それは一時的なこと。神は約束に反することがあり人の目には理解できないことでも、神に考えるところがあり、時を得て約束が実現へと向かう。人の目には不可解と思われても神のみ心は深く、人知を超える。

 

―捕囚の身の嘆き―

 

39しかしあなたは、御自ら油を注がれた人に対して 激しく怒り、彼を退け、見捨て 40あなたの僕への契約を破棄し 彼の王冠を地になげうって汚し 41彼の防壁をことごとく破り 砦をすべて廃虚とされた。 42通りかかる者は皆、そこで略奪し 周囲の民は彼を辱める。 43彼を苦しめる者の右の手をあなたは高く上げ 彼の敵が喜び祝うことを許された。

 

44しかも、彼の剣を再び岩のかけらとし 戦いの時にも、彼の力を興してくださらない。

 

45あなたは彼の清さを取り去り 彼の王座を地になげうたれた。 46あなたは彼の若さの日を短くし 恥で彼を覆われた。〔セラ  

 

 詩人のイスラエルの民の苦しみを憂う嘆きである。しかし、あなたはそう言うものの、自由奪われた捕囚の身である現実を見れば、我々を取り巻く周囲の民の侵入を受け、侮られ続け、あなたの言うこととあまりにもかけ離れ信じることは不可能である。

 

―御心に留めてください―

 

50主よ、真実をもってダビデに誓われた あなたの始めからの慈しみは どこに行ってしまったのでしょうか。 51主よ、御心に留めてください あなたの僕が辱めを受けていることを これら強大な民をわたしが胸に耐えていることを。 52彼らは、主よ、あなたの敵であり 彼らは辱めるのです。彼らはあなたの油注がれた者を追って 辱めるのです。

 

53主をたたえよ、とこしえに。アーメン、アーメン。

 

 主よ、以前、真心をもってダビデに誓われたあなたの愛はどこへ行ってしまわれたのですか。今あなたを信じ従うものが敵から侮辱されていることを心にとめてください。

 

まとめとして

 

今日の主題は、神の選び(20、21節)である。ダビデはイスラエルの王として神から聖別され油を注がれたように、我々神を信じる者もダビデ同様、皆神により選ばれた者である。時代も使命も異なるが、皆、神により「選ばれた者」、この点は共通している。神の選びの意図は分からないが、それは神の判断であり、御国へ行ってから分かるかもしれない。 

 

パウロは、「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。」とはっきり言っている。(コリントⅠ1:27-28)そうであれば、私の周りに知恵・力がある立派な人が多くいるため、あえて私を選ばれたのかもしれない。大切なことは選ばれた者は、神の御手により一人一人「土の器」として造られこの世に生を受け、弱いもの、勇気がなく意気地の無い者、とるに足りない小さき者の自覚を持つこと、忘れないことである。