2015年

■1月

・2015年正月も早18日、何か新年が随分早く過ぎるようで、今月91歳となる。終戦後の占いで83歳まで生きるといわれビックリしたが、それ

 もあっという間に過ぎ、夢のようだ。今、健康を守られ、日本が戦争に負け、新たに信仰を与えられた。自分の罪を悔い、神の赦しを得て、今日まで

 日々神に頂いている恩恵に感謝を捧げ、人々のしあわせを神にお祈りする時を与えられ、本当に感謝している。

・昭和28年10月頃、清水に来てアメリカ宣教師により路傍伝道に耳を傾け、それ以来宣教師による集会に参加した。以来60年経つ。信仰を戴き結

 婚、子供、仕事、日々神に祈り、何とか働くことでき感謝です。神は信ずる者によきものを与えてくださる。神の義を求めなさい、そうすれば必要な

 ものを与えてくださる、そういう約束をしてくださる。神の約束に全幅の信頼を寄せ、約束を信じ、よたよたした信仰の歩みを何とか今日までつづけ

 られ感謝です。後余命いつまで続くのか‥‥。今日も礼拝に参加でき感謝。

■2月

□結婚して現在も共働きをしている。子供3人は夫の母にとても世話になった。今、子供たち3人全員は、東京近郊で生活している。最近、私も老化か

 進んでいるように思い、不安となる。祖母は、時々、孫から電話あると嬉しそうに話してくれる。子供に済まないと思いながら生活している。遠く離

 れて生活していることを思うとその思いが強くなる。「今の(認知の進んだ)おばあさんを認めてあげようね」と子供に言われることがある。子供が

 成長していることを感謝している。

□老化現象ひどくなった。歩くことが大変で、買物も人に頼んでいる。1日中横になっている日が多い。その様な生活の中でも礼拝だけでは出席したい。

 体調悪ければ尚更そう思う。

 クリスチャンの友人は「だめな人間で‥‥」と言う。その人は、主に対し人に対し謙遜な方である。ある日、ある人から「謙遜にならなければ」と言わ

 れた。また、「自分はつまらないものと言わない方がよい」とも言われた。神にどれほど愛されているか、と思うとまさにそうだ。そういうのがもっ

 たいないことと思う。私は十字架により愛されている、自分を顧み自分は大切と思いたい。必要以上に卑下することはしたくない。

■3月

□職場は、もうすぐ人事異動の時期を迎える。この1年間、数名の若い人が心の病でしばらく休んだが、今、全員が職場復帰した。また、桜が咲き始

 め、一人ひとり、それぞれの思いで見詰めるだろう。桜により慰められ新しい心で新しい年度を迎えてほしい。私もそうしたい。 

☆感話会(第5週の礼拝)

・H姉 約40年前のNさんの集会参加を覚えている。当時Nさんは25歳であった。参加を喜びました。出会いは大切です。感謝しています。主人の

 御国への旅立ちは恵みなのか、神は私に何をしようとしているのか‥‥今は恵みに間違いがない、そう思っている。主人の信仰は「怒りを神に任せ

 よ!」であった。心に無いことに対し微動もしなかった。イエスに任せた。それでよいと。

・S姉 最近、清水聖書集会に参加を許された。感謝しています。中学・高校とミッションスクールへ6年間通う。静岡の実家がキリスト教に関係なく

 いため教会に誘われても反対された。その後10年間教会から離れた時、清水教会の牧師が心配してくれた。この清水聖書集会にも期待しています。

・M姉 今年清水聖書集会に復帰させていただいた。ある日のこと、牧師は私を呼び「あなたはIさんのところへ行きなさい」と。内村の生き方に従え

 と言われた。幸せでいいはず‥‥この集会に助けを求めてきました。根本的に聖書を教えてくれるので感謝です。私の悪いところは、重荷を負ってしま

 うこと。自分がボロボロになり帰ってくる悪い癖がある。「柔和で謙遜になりなさい」と言われる。「朝風静かに」が好きな曲。聖書をしっかり学ぶ

 ことが出来る集会、会場の環境が素晴らしい。

・M兄 無教会の集会に参加して30年経つ。教会建設にために働いた時もあった。清水へ来たのは長男が生まれた時から。長男は障がい者。家内は東

 京商船大学に奉職。N夫妻からアドバイスを受け、長男をキリスト教独立学園へ進学させた。当時の私は入信して4・5年経っていた。「私にはこの

 子を教育する力がない、神に愛されるようにお願いします」と学校に伝えた。教会を離れIさんの集会に参加した。家内はその前から参加していた。

 I様は謙遜な人でした。集会終了後に感謝のハガキが送られてきた。 復活の信仰を強く持つ方で、天国で再びお会いしましょうとよく言われた。子

 どもたちにも熱心に信仰を植え付けられた。そして子供たちは立派なクリスチャンホームを受け継いでいる。H兄が山形県の山の出身であれば、私は

 酒田市で海の出身。家内はH兄夫人と親しく、私はH兄と同郷。山形県人は控え目で全て主に任せる。 

・N姉 I兄、H兄、そしてS兄と病により御国へ帰られた。I兄は「胃がん」の手術をしない。H兄は「胆管癌」。皆、穏やかな顔を残し御国へ旅

 立った。I兄は90歳過ぎても会場の準備をされた。ゆったりして我々を迎えられた。H兄は集会の聖書感話の準備のため、夕食が終えると直ぐ机に

 向かわれた。また、幼い小学生のK君にユーモアで迎えられた。私は直ぐアレルギー症状が出てくしゃみ、鼻詰まりの症状となる。いつも柔和でいた

 い。怒りは神に任せればいい、すべて神に任せて生活したい。「いつも喜べ、絶えず祈れ、すべて感謝せよ」私の好きな御言葉です。

■4月

□桜が終わる頃、家の近くの庵原川沿いの桜並木を散歩した。当日天気が悪くても多くの人達が桜を見に散歩していた。そこに老人、子供、家族連れ、

 友達同士の姿があった。辛い時、桜で慰められるように、神様が用意されたであろう。散際を見てあと何年見られるのかなと思う人もいて、来年の春

 まで元気でいようと励まされるだろう。
□先日夢を見てうなされた。こんな自分のためイエスが死んだのである。この世は天国へ導かれるための試練の場、横道に惑わされずひたすら歩んでい

 きたい。私は、榎本保郎「1日1章」を読みはじめ既に1年経つのにぐずぐずしている。1日の文章量が結構長い。3年前、聖書を1日1章読もうと思

 い立ち実行している。若さの残っている時、挑戦することは大切。今は天国目指し1日1日を大切に過ごしたい。
■5月

☆感話会(第5週の礼拝)

・H姉 一番うれしいことは、大橋姉、斎藤姉、中嶋兄の参加です。イエスが導いたと思う。心から嬉しいです。「いつも喜べ、祈れ、感謝しなさ

 い。」夫がなくなって何度も口ずさむ。どんなことも感謝しなさいの御言葉により、主人の死後半年経って、主人の死受け入れることが出来た。聖書

 に書いてあるからです。今日も洗濯しながら時計見つつ出掛けて来た。主人がいた時は何もしないで集会へ出かけた。主人から、「1週間の内、6日

 間用事し、日曜日主のことのみ考えて生活しなさい」と言われ。

・S姉 最近、この集会に出させていただき感謝です。

・N姉 3月末、仕事もう1年続けようと考えた。しかし、4月県立病院受信し、乳がんであることが分かった。細胞診検査繰り返した。6月24日入

 院、26日手術と決定した。治療は全て患者と相談して決められた。思ったことは人の一生解らないということ。急にそんな場面になったが、細い橋

 を渡っているようなものです。取り敢えずできることをしよう、1日1日大切に生きようと思う。もっと早く検診を受ければよかったのに、忙しい、

 忙しいで来てしまった。初期治療が大切でどこまでやるかは、病巣見てからとなる。少し神が近くなる。祈ること多くなった。信仰の力です。

・O姉 毎週この集会に出られないけれど、なるべき集会に出席させていただきた。小学校の友達に村松さんという人がいたが、昔からクリスチャンで

 子ども心にあこがれた。肋を骨折し6月2日検査することになった。

・M姉 5月は、素晴らしい季節。去年頂いたアジサイが咲いている。命ある限り花を挿したい。 何かあるとイエス様助けてくださいとすがる。イエ

 スのおかけで信仰持つ。これからも祈り合っていきたい。

・M・I兄 今年も5か月終わった。早い。集会に世話になる。年寄り夫婦2人は助かる。老々介護の状態です。妻の状態は首かしげたくなる。介護「3」限度2.6万円。現在2万余円使用 土曜日何処へ行くのかわかっていない。持ち物は私が用意。連絡帳を見てデイサービスの様子が解る。体の

 健康は心配ない。世の立派な男性は老々介護よくやっていると知るが、私は、妻が少しでもやることが遅いと怒鳴ったりするので、反発受ける。汚い

 言葉は良くないと聖書教えるが、なかなか実行できない。情けない夫です。私自身もう年、何時まで元気でいられるかわからないが、先のことあまり

 考えない。家内はお祈りをちょいちょいやっている。 今まで培われた信仰を生かしている。意識の内に信仰ある。わたし60年やって来ても前に進

 まない。皆さんの祈りで助けてもらわないと。この状態をしばらく続けていきたい。月1回でもここで話をする機会を与えられているが、まとめるこ

 とが中々できない。十分な話ができない。神に申し訳ない思い。今月17日、多田さんが「永遠の命」について話してくださった。ヨハネ伝では、真の

 唯一の神、遣わされたイエスを知ること、イエス・キリストを知ることが永遠の命と教えられた。福音は聞かなければ信じることが出来ない。よく聞

 いて理解すること、信じること、これが大事と思う。信仰は自分の考えで得られるものでなく、神の意志により与えられている。静岡の周りの石原、

 石川、村松諸兄、浜松の立派な方々と直に接することが出来たことが嬉しい。
■9月

□8月末、「キリスト教独立伝道会」の関兄、土屋兄姉と共に、信州に出掛けました。水野源三さんの生家と教会、墓を訪ねました。源三さんを信仰に

 導かれた宮尾牧師の娘様の案内で実現しました。源三さんは、教会には1度も行けなかった人とお聞きしましたが、教会に行けなくてもしっかりした

 信仰を持たれたことに只々驚きました。小学4年生、9歳の時、赤痢に罹り、それが原因で脳性麻痺を起こし、手足を動かすことが出来なくなりまし

 た。話すこともできず、瞬きの詩人と言われました。源三さんゆかりの教会で、牧師の娘さんから直に説明を受けたことに感動しました。牧師は教会

 が出来る前は自宅を開放されたようです。この坂城栄光教会建設も水野さんが一役買って多くの献金が集まったと知り、牧師、源三さんは天国でどん

 なに喜んでいることでしょう、そう思いました。