詩編79編            2014.4.20

 

詩の作られた時代は、「異国の民の襲来」「エルサレムの町の荒廃」(1節)、そして「捕らわれ人の嘆き」(11節)からして紀元前587年、バビロン軍によるエルサレムの町の破壊の様子、バビロンへ捕囚された様子を描く。

 

1【賛歌。アサフの詩。】神よ、異国の民があなたの嗣業を襲い あなたの聖なる神殿を汚しエルサレムを瓦礫の山としました。 2あなたの僕らの死体を空の鳥の餌とし あなたの慈しみに生きた人々の肉を 地の獣らの餌としました。 3彼らは、エルサレムの周囲に この人々の血を水のように流します。葬る者もありません。4わたしたちは近隣の民に(はずかし)められ 周囲の民に(あざけ)られ、そしられています。

 

神の民の住む町、エルサレムが異国の民により襲撃され、神の住む聖なる神殿をはじめ、町のあらゆるところを破壊し尽くした。家や道路だけでなく、多くの民を人間と思わず、物を破壊するように命を奪い、その遺体が街のあちらこちらに横たわっている。遺体は収容されず、街角に残ったままの状態であり、それ等は鳥の餌、廃墟と化した街をうろつく動物たちの餌となった。この遺体から流れ出た多量の血は、まるで水が流れるように、低い土地へと流れている。この悲惨な状態は放置されたままで、遺体を埋葬する者すら現れません。命を失わずに済んだ私たちは、今もなお近隣の国、エドム人、モアブ人、アンモン人、アラム人等のあざけり、辱めを受け続けつらい思いをしている。生きながらえた人は今もなお精神的攻撃を受けて生活している。

 

人間の遺体を埋葬せず放置したままの状態に置かれることは、人間の尊厳など全く無視し、物扱い、物体扱いである。もうだいぶ前のこと、中国へ「緑の贖罪の旅」に出かけたことがあった。日本軍・731部隊が、中国東北部・満州で捕虜にした中国人をペスト菌の人体実験(ペスト菌の人体の感染力を調査)に使った様子を紹介する記念館を訪問した。人体実験の中国兵を「丸太」と称し、物として扱って人体実験していたことを知った。

 

5主よ、いつまで続くのでしょう。あなたは永久に憤っておられるのでしょうか。あなたの激情は火と燃え続けるのでしょうか。6御怒りを注いでください あなたを知ろうとしない異国の民の上に あなたの御名を呼び求めない国々の上に。7彼らはヤコブを食いものにし その住みかを荒廃させました。

 

主よ、いつまであなたの怒りは続くのでしょうか? 町がこんなに破壊されているのに怒りを治めてくれないのですか? 我々は心身ともに疲れ果てている。我々の悪で怒られるのは仕方ない。しかし、我々を取り巻く近隣の国々の、あなたを求めないことの方が、我々よりももっとあなたの怒りを受けてよいのではないか。その民らはヤコブ=イスラエルの地を荒らしたのだから。

 

 神を信じる者が、時に自分本位となり神から離れたり、神のみ旨に反する悪口をしたりすること、他方、神をはじめから信じない人が神の教えに反することを繰り返すこと、この2つを比較すれば、前者の方が罪は軽い。しかし神からすればこの比較そのものが意味のないこと。キリスト者は世の人との比較はそもそも許されない。神に所属しているから。我らの国籍はこの地上になく天にあるのだ。この世の中でどんなに不合理なことに直面しようが、この世と比べてはいけない。比べれば比べるだけ気力が削がれるのである。我々はこの世と比較してはいけない。ただただじっと神を仰ぎ歩むのみである。

 

8どうか、わたしたちの昔の悪に御心を留めず 御憐れみを速やかに差し向けてください。わたしたちは弱り果てました。9わたしたちの救いの神よ、わたしたちを助けて あなたの御名の栄光を輝かせてください。御名のために、わたしたちを救い出し わたしたちの罪をお赦しください。

 

目の前のエルサレムの町の破壊され尽くした惨状は、過去に私たちの先祖が、あなたに対し犯した過ち(罪)に対する罰でしょう。どうか、ただただあなたの憐れみにより、速やかに私たちをお救いください。私たちは弱り果て、辛うじて立っているのです。あなたの憐れみ、愛におすがりするしかないのです。あなたの御名の栄光、御名のために「私たちの罪」をお赦しください。罪を示され、罪の赦しがあって根本的な救いが実現するのである。この罪の赦しは只々神の御手の中、愛の業による。神の一方的な憐れみによる。

 

日常生活の中で苦しみに合う時、とにかく神を思い浮かべ神にすべてを委ねること、その中で、神から自分の反省を促され、時に、はっきりと為してしまった悪・罪を示される。このことが後々になり、神の私に対する愛であることが理解できる。

 

なんだかんだ動き回ったり、思ったりしてみても、人の安らぎ、平安な心に包まれるのは神によって生まれる。野の花を眺めたり、春か遠くに見える山、海をじっと眺めたりしていると心が落ち着く。私たちの身近な野山も「初めに神は天地を創造された」神により創られたものである。

 

10どうして異国の民に言わせてよいでしょうか 「彼らの神はどこにいる」と。あなたの僕らの注ぎ出された血に対する報復を 異国の民の中で、わたしたちが 目の前に見ることができますように。11捕われ人の嘆きが御前に届きますように。御腕の力にふさわしく 死に定められている人々を 生き長らえさせてください。12主よ、近隣の民のふところに あなたを(はずかし)めた彼らの(はずかし)めを 七倍にして返してください。

 

今もなお異国の民たちは、「お前たちの神はいないのか」と言って、我々だけでなくあなたをも敵とし、馬鹿にしている。どうか、一刻も早く裁いてください。あなたの裁きの業を見届けたいのです。エルサレムを離れ、敵に捕らわれて異国の地、バビロンの地で捕虜生活を強いられていますが、以前にもましてあなたのことを強く求めています。救ってください。

 

苦境に陥れば陥るほど、一心に神への思いが純粋になり、慕う気持ちが深まる。ピンチがチャンス到来の機会となることがよくある。ピンチは神の恵みであり、神はあえてその人を成長させるために、試練の場を提供する、そのように考える方が積極的に生きることができ、人生も楽しいものとなる。神を信じると前向きになれる。

 

13わたしたちはあなたの民 あなたに養われる羊の群れ。とこしえに、あなたに感謝をささげ 代々に、あなたの栄誉を語り伝えます。

 

苦難の先には大きな恵みが待っていることを信じる。そのような思いにさせるのは、あなたの御名を讃えられる時の訪れが必ずやってくることを信じるからである。その時がやって来たら、心から思いの丈の喜びを現したい。

 

まとめとして

 

・大きな苦難に直面し、見通しが立たない時、光が遮られすっぽり暗闇の中に陥ってしまった時、どこに心の支えを見出すのか 今日の日の箇所は、敵の攻撃を受けて戦いに敗れ、殺された者、命は落とさずに済んだものの敵国に捕虜として連れて行かれ、この先どの様な奴隷生活が待っているか不安に襲われている者、どちらも不幸である。

 

・我々の取り巻く状況も、多くの苦難に囲まれている。隣国・韓国、中国とのいがみ合い、戦争の準備を整えようとする不穏な動き、一部の企業、国民への富の集中、

 

その一方で

 

若者  非正規社員の恒常化‥‥生活基盤が定まらない不安、将来の生活設計が描けない無力感、結婚の断念、政治への不信、核家族化、 

 

高齢者 孤独な生活、夢の抱けない味気ない日々の生活、健康でそこそこの年金に恵まれた高齢者‥‥自分の幸せを求めることに夢中な人達(表面的な幸せばかり求め続ける高齢者)

 

詩編の世界だけでなく、形は違っても将来の夢、光が見いだせない点では詩編の世界も現在の日本も同じ環境である。