マタイによる福音書16:21-17:13      2015.7.12

21-28 死と復活を予告するイエス

□イエスは、以前、「『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた。」 (4:17)と宣言し、弟子を伴いカファルナウムを中心に地方の村々に出かけ、「悔い改めて神を信じよ」と救いの道を説き、併せて病人、弱き人々に奇跡の御業を行い、福音伝道をおこなった。そしていよいよここに来て、更なる宣言を述べた。

・「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(6:21)

□注目すべきことは、「殺され、復活することになっている」と言っていることである。イエス自身の意志でなく、イエスの意志を超えた神の計画であることを表明している。イエスの話を聞き、驚いたペトロは、せっかちで正直な気持ちを伝えた。

・「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」(22)

□するとイエスは、弟子たちに最も大切なことを打ち明けられた。私の弟子として、私の全てに倣い従って来なさいと。自分自身の命を愛おしまず、隣人のため、主の御旨のために失うことを覚悟しなさいと。イエスの教えに従うことのできる者は、最後は命を保証される約束が待っていると。

・「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(16:24-25)

□“死んで生きる”とは、逆説的な内容であるが、自分の命を主のために捧げること、これはイエスの地上の歩みであり、イエスを信じる者は、天国へ旅立つまで常に目標である。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネ12:24-25)死んで生きること、命を削ることにおじ気てはならない。イエスの重い言葉を我々一人ひとり受け止めなければならない。

17:1-13 姿が変わったイエス

□イエスが死と復活を告げて6日後、弟子ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人を伴われ山に登られた。そこでイエスが、顔は太陽のように、服は光のように白い姿に変われた。続いてイエスが、モーセ、エリヤと話し合っている光景を見た。ペトロは、驚きの余り、間が持てず思いついたように「3人のために小屋を建てましょう」と提案した。すると天上から神の声が、弟子たちのもとに届いた。あたふた行動するのではなく、私が地上に遣わした者の声に耳を傾けなさいとの御声であった。

・すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。(17:5)

□その後、イエスが弟子を引き連れて下山すると、弟子たちがイエスにどうして律法学者は、エリヤが来るはずだと言っているのか尋ねたると、イエスの言葉をお聴きし、新約の予言者=ヨハネのことを言っていることを悟った。

・「……言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。

 

まとめとして

 我々の国籍は天にある。地上で生活をしつつも、天国に宝を積むことが、人生最大の目標である。地上の人生に固執することなく、命令とあればいつでも命を差し出す覚悟でイエスの御後に従って歩みたい。