2017年
(1月)
・3人の子供と7人の孫、計10人に恵まれる。毎年年末から新年を迎える。今回も箱根の寮で子供、孫と共に過ごすことができた。63年前、30歳少し前であったが、北海道から転勤で清水し、その時キリスト教に触れる。色々なことあったが神に守られ、感謝。上の子の病気から無教会に触れた。独立学園へ長男、次男が進学したが、3男は見学に行ったが進まなかった。しかしその妻はミッション系高校を卒業。ペトロは、イエス召天後、回心した。パウロも回心した。ヘロデ王により迫害受けた。先にキリスト教に導かれた。子供達のために祈りたい。子供達共々救われたいと、新年に祈った。私93歳、妻88歳となったが、皆さんの祈りに支えられ今日まで歩んでこられた。
・何時も主日礼拝の参加できることは感謝のほかない。神の導きにより小田夫妻がこの集会に参加されたこと感謝です。私にとりこのことは奇跡の様。小田ご夫妻が遠いのに沼津からここに来ていただき感謝、ありがとうございます。先ず、一日私にとり大変な一日。前々から私の腕は痛んで来た。昨日は酷くどうしようもない気持ちとなった。夜娘から電話があり「腕はどう?」「明日、痛かったら休ませてもらう」「駄目、集会に出で後の6日間、寝ていなさい」と言われた。何よりも先に集会に出席できますようにと祈るべきでした。不信仰であったと反省している。私は元気な時、祈り、主に願うことは容易にできる。痛みに襲われる時、信仰から離れやすい。サタンに襲われた時、イエスの十字架の苦しみに思いを馳せて行かなければ…と思う。痛いのはもしかしたら私の信仰の糧になると思う。皆さんのように、何処も痛まないで元気に集会に出席にしたいと願います。
<29日 感話会>
(M姉)小田弘平御夫妻の参加は、奇跡と思う。神の御力が働いている。会食が楽しみです。皆様の顔を見て共に食事することが嬉しい。小田兄の祈りをお聞きし、私の祈りを反省した。神に向かい祈っているだろうかと。御言葉を覚え、自分のものにしていきたい。 母は認知が進んできたが、それでもしっかりと洗濯物たたみ、靴を揃える。右目は全然見えない。だから左目を大切にしなければ、と言う。洗濯物たたみを大切にしている。大切なことは認知になっても変わらない。私は、体力維持したい、姿勢を正しくしていきたい
 と思う。
(H姉)ヨハネ15章好き。家で聖書開く時、ここを読む。私はブドウの木あなた方はその枝、イエスの生涯繋がっていなければ…と何回も思う。今までこのように礼拝に参加できたのは皆様の愛があってこそです。人を天国に送ることは一大事業。イエスは、多くの人その為に一生懸命伝道された。それを思うと私も天国に入れていただかなければと思う。許される限り集会に参加したい。西澤様ご夫妻、本当に愛の労苦をしてくださっている。感謝している。聖書を与えられたということはこの世のお金持ちにさせていただいたと同じ。使ってもなくならない財産を心から感謝しこの世を終わりたい。私は今、脳トレをしている。 少しでも脳が元気になるように。ここで話されたことを記憶にとどめ生きる糧にしていきたい。聖書を学びながら生きて行くことができますよう祈りに加えていただきたい。
(T姉)ヨハネ1:1好きな聖句です。脳の衰えを感じるが脳トレをしていきたい。目、耳が衰えていることを感じる。昨年の道、今年も歩めれば、目の手術を8月受けたい。そうすればさらに聖書読める。夏期聖書集会に参加し皆様の祈りを感じた。1年間しっかり聖書学びたい。
(S姉)困ると神を思い出す。それではいけないと思いながら、聖書を開き祈っていきたい。 
(M兄)いつも言うこと同じ。年寄り2人、皆様に支えられ何とか参加している。小田御夫妻が集会に迎えられ感謝。高校の経験を語っていただく恵を感謝。終わりの日に罪赦されたものとして神に受け入れられたい。西澤御夫妻の労苦、祈りが結んだと思う。伝道会による伝道、神に用いられる伝道者に学べるよう祈る。交流広がり感謝。
(2月)
・看護師の仕事に就き、毎日忙しく過ごし、親戚の付き合いは義理を欠いて来た。今回姪の結婚式に出席できた。寒い冬の結婚式出席のため、普段、実家の下伊那へ自動車で帰ったが、今回は雪、路面凍結が心配で、電車を利用し、身延線、中央線・あずさ、飯田線と2回乗り継いでだ。甥、姪の成長した姿を見て感動し、無事に帰ってくることができた。行く前はいろいろと心配したり不安したりしたが、動いてみれば気持ちも軽くなることを実感できた旅でした。守られていると思いました。
・長い間、この集会参加し、多くの人のキリストの愛について学んできたが、その教えに従っていないことを思う。これからの生活は短いが、神の愛にすがって生きて行きたい。共に信仰生活の祈り、助けが重要と思う。毎週一緒に居るが、実際のところ個々の生活、家の悩み苦しみ、喜び知ることはない。我々の無関心によることが多いが…、その度の祈りもできないが…、と最近特に思う。皆さんの健康状況、悩み等、西澤さんから聞くことあるが、そのようなことに関心をもって祈っていきたい。
・近藤兄の久しぶりの参加、感謝です。嬉しい。小田兄の参加の日も来ていただければ有難いですよ。昔のことを思い出し、懐かしむことができた。石原兄の所の集会で、奥様の話しを思い出しました。両手を取り、祈ること許されている。諸手を挙げて祈ることできることは感謝、素晴らしいと知る。私の知人は、片目でほとんど見えなくなった時、足が残って居ることを主に感謝し、自分の不自由を嘆かないことに感動した。すべてを主に委ねることの生活を教えられた。痛い時、苦しい時、主にゆだねる信仰、素晴らしいなと思う。私にはまだまだ神から頂いた恵みが沢山ある。これを思い、これからも感謝できる生活したい。
(3月)
<13日吉村孝雄兄を徳島からお迎えしての特別集会>
(M兄)先生の講話を聞く機会がなくて今回実現し嬉しい。人は日々老化するが、信仰を持ち続ければ、終わりの日まで支えてくださる。熱心な祈りが出来ないが、それでも祈り続けていきたい。 
(K兄)昨日、3月号「いのちの水」を見て、吉村様が清水聖書集会に来られるのを知り参加した。 職場の人間関係で苦しむことが多いが、今日のお話しを伺い、この世の生活は「仮住まい」とお聞きし、気分が楽になった。これから割り切って職場聞くことが出来る気がする。 
(M兄)希望を殺さないよう生活していきたい。
(KM兄)今まで「ペトロの手紙」を真剣に読んだことなかった。「私は、何でクリスチャンになった」と考えれば、神に選ばれたと思う。「俺が、俺が、の世界」で生活していると、イエスによって神から選ばれる機会を与えられたと思う。無限の財産をいただけるのが福音で、奥行きがあると思う。聖なる世界は必ず前に向かって進んでいる。主の言葉は永遠に変わらない。
(M姉)いままでペトロの手紙をしっかり学んだ覚えがない。わたしは、神に選ばれ、 血を注ぎ続けられていると思うと暖かくなるような気がする。
(S姉)この世は、仮住まいであるとのお話が心にしみた。本当の住まいに住まわせていかだけるようもっと聖書読んでいきたい。神が選んでくださったことを忘れず、前向きに生活したい。
(H姉)吉村様は、前回お会いした時と少しも変わっていないように見え安心しました。 これは聖霊が与えられていくからだろうか。私も神からピックアップされたよ思うことある。神からの選びはものすごい事で幸せ。この思いは言葉では伝えられないすごい事。聖書を与えられたことは、本当にありがたい事です。天国が近い年齢になりましたので、せっかく与えられた聖書を毎日読ませていただきたい。今日の吉村様をこの集会にお迎えできた機会は、天からの宝物です。
(N姉)健康や人間関係、金等は全て神から頂いたものです。福音を伝えるために、また聖書読んで行こうと思う。今日のお話をお聞きし、元気が出てきました。
(Y兄)「何故、母なる神と言わないのか?」 女性は子を育てる、弱いイメージがある。アブラハムは妻を何人も持つことできた。女性は子を産むことが絶対必要。子を産まれなかったら絶える。一夫一婦制はできない、絶える恐れがあった。 男性は上に立ち引っ張る。父と母なる神と言わない。イエスから逃げなかったのは女であった。復活のイエスの最初に出会ったのは女、聖人は女の方が多い。イエスは父・母の全てのものを負っている。ケーブルが初めてラファエルホンケーベルを日本に呼んだ。音楽は本来音が聞こえない。音楽は響きがある。霊的に声が聞こえる。音の聞こえないベートーベンは、散歩して楽譜を書き留めた。そのために散歩した。雲や山を見て音楽が聞こえる。香りからも特別な音楽が聞こえるのです。 
・先週、吉村兄を清水聖書集会に迎えられ感謝。ペテロ第一の手紙は、イエス召天後エルサレムの人々は、ユダヤ教の迫害に遭い、散らされた。騒動が収まり、集まってイエスを偲び、教えを広めた。この手紙は中央アジアの仮住まい者、選ばれた人への挨拶で、父なる神の計画により、聖霊により聖なる者とされた人が、キリストに従う内容である。これら信徒へ、選ばれた人は互いに愛し合うように 生き生きした希望を持ち神が豊かな憐みにより生き続け、復活の時、多くの恵みを受けるようにと励ます。神の力、信仰により守られ、天から遣わされた聖霊により福音を告げ知らされた。吉村様御自身は、現在各地の福音伝道を展開している。使命をもって使徒として働く姿に見える。主の言葉は永遠に変わらない、あなた方に告げ知らされている福音に生きよと、わたし達にエールが送られている。感謝です。
(4月)
・3月31日、市立清水病院を退職した。44年間看護師として働く。最後の職場は、透析室でした。この職場で15年間、働くことが出来た。患者さんから「透析始め1月後に、西澤さんが、職場に来たんだよ」と言われた。ここまで先輩の看護師に教えられ働くことが出来た。初めの頃「ここには看護がない」と思った。技師さんに支えられながら働くことが出来た。血管拡張をした患者さん、月1回する患者 血管拡張はとても痛い。「西澤さんには耐えられないよ」と言われた。肝癌、膀胱癌の患者さん、ぎりぎりの状態になってまで仕事している患者さん、今、思うと患者さんに支えられながらやって来ることが出来たと思う。私は、循環器、呼吸器等の病棟を経て透析室へ来た。とても異動が辛かった。珍しい異動であった。半年後に、異動の経緯が理解できた。50歳位の同僚、異動して続けられなかった。今後、体調整え、また新しい生活を元気で過ごしていきたい。
・老々介護が続き、近所の世話になる。吉村孝雄兄発行の「いのちの水」4月号に掲載されていた「外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされる」(コリントⅡ4:16)を読み、心新たにすることが出来た。祈りはできる、周りの人、気になる人のため執り成しの祈りは年寄りの務めと思う。内なる人に聖霊が宿っていてくれる。神を信じる人は、贖いのため十字架に付けられ、神の下におられるイエスの霊が、地上の私たちに魂の助けとしていてくれる。祈りに応え、新たな人に代えてくださる。信頼し、皆様の助けを借りて生きてゆきたい。
・我々この世に生まれ何が一番幸せか…、私は、聖書与えられたことと思っている。「体は、大丈夫ですか?」、この労りの言葉が、嬉しい。このような友、与えられたこと嬉しい、天国にいるようです。今も集会与えられている事、昔からの友人との祈りは、恵みの賜物です。このような恵み頂きながら私は何もできないことを反省している。只感謝のみ、続けていけたら幸せと思う。西澤夫妻といつか共に天国で暮らす事、感謝です。私、集会に1回でも多く参加させていただくことに焦点を合わせていきたい。そのためにも祈っていきたい。この願いが、主に届きますようにと祈っている。小田様が、私たちの集会に参加していただいている事、感謝。有難く思っている。
<30日 感話会>
(H姉)感話…いろいろなこと考えてしまい大変だ、と思うこともあるが、皆さんの心の内を聞かせていただく楽しみもある。新聖歌40大好きです。「わたしにも聞かせて」ガリラヤの丘で座って聞かせてと思う自分を思う。1週間に1度、私も聞かせてと思い参加で礼拝に参加している。私の1週間の夜の祈りは、決まっていて「次の集会に出席できます様に」です。健康と環境を整えないといけない危機感がある。毎晩「明日出席できます様に」と祈る。そんな自分のことばかり祈ってはいけないと承知しているが、今後、何度参加できるか分からないと思っているので、何としても出席させてほしい、との祈りとなる。昨夜、そのことを息子に話したら、「その祈りばかりでなく、その時のために聖書を読み、よく勉強しなければダメ」と言われた。この歳になっても聖書が読めるのでありがたい。勉強まではできない自分を発見している。昔、80歳を超えた人「もう聖書読めなくなってね」と、2人から聞いた。 80歳にもなると聖書も読めないと聞く。私、目が悪くないので読める。これは神からの恵みで、聖書読むことに一生懸命でなければ…私のたった一つの生き方と思う。聖書読むように努力して行きたい。
(K兄)前回3月15日に参加。月の最終週に参加したい。12月の時、デンマーク牧場の方の話しから「癒し」に興味持つ。聖書から出てきた言葉と知る。「香り」も聖書からの言葉。今日は「響き」がテーマ。もう5月。3月初め頃、都立大近くにある「今井館」の事務局長は以前福島先生でした。今度は若い方が事務局長で、内村がピンとこないようです。洗礼でなく伝道師で素晴らしい活動をして来られた。草の根活動ではないがもっともっと広めていってほしい。今の日本基督教団に所属しているが元気な気持ちで帰りたい。腰が痛く歩けない。今、良くなってきたが…自転車乗ったりし、体を動かしている。「讃美、体操、聖書読み」が健康の秘訣である。静鉄ジャストラインを利用し蓮華寺公園へ行ったが、藤の花が綺麗に咲いているのを見ることが出来た。
(N兄)1週間前のこと、原付で移動中、日の出埠頭に寄港中の「ゴールデンプリンセス」(11万トンで「飛鳥」の倍、乗員5千人)乗客は、会話していない。ドイツ語? 楽しい船旅であろうが、淋しく感じた。 
(S姉)「信仰こそ旅路を」(275)の「この世の危うき…」の歌詞から、先日、福島へ行ってきたことが、浮かぶ。人が居ない、黒毛和牛もう食べられない、悲惨な状況があった。
(M姉)目と耳が悪くなったので、今のうちに聖書を学びたい。天国に帰ることを考えたい。信仰をしっかり持ちたい。私の座っているこの場所、良く聞こえる、ホワイトボードも見える。2週間前、落ち込んだ。外出したくない。自分の力に頼り過ぎている。神から頂く力で生きて行きたい。御手にゆだねる。隣人を愛する。普通の人を甘やかすことできない。人に迷惑を掛けないことも人を愛する事であると思うので、イエスの力を借りて人に迷惑かけない大切さを伝えたい。 
(M兄)ロマ書3:20?律法は罪の自覚のみ、自分の努力では神の前に義とされない。律法は、「何々をしてはならない」のみ。子供の関係で無教会の仲間入りしたこと良かった。1994.1.信州・伊那「ロッジ吹上」での冬期聖書集会で無教会の方々と初めて交わりを持つ。その時の写真を持ってきました。思い出深い写真です。
(5月)
・皆さんは、体調如何ですか? 私は、現在、乳がん治療を始めて2年目に入った。一昨日、胸のエコー、骨密度の検査をし、「異常なし」と言われた。最近、家の中、身の回りの整理始めている。もう「いつかやろう」の時間的余裕はないかも…。神様にいただいた身体であるので、時間を大切に、集中して生活していきたいと思っている。
・先々週(5月7日)、小田兄が聖書講話当番でコリント第Ⅰ・6章を話され、その後の質問・感想で、私は9-10節を読むと、後ろめたくなる、と話した。11節「あなた方の中には、その様なものもいました」の御言葉、それはわたしと思う。しかし、そんな私でも「主は共に」いてくださる。神の前に出ることが出来る。このことを忘れずにいたい。罪にとらわれていては、信仰生活はできない。すべてイエスにお任せし、神の前に出るにふさわしい者でありたい。皆さんの信仰に倣い、生きて行きたい。今後もご指導、交わりをお願いしたい。
・先日、小田原で開催された同窓会に参加した。出席者は15名。楽しく過ごすことが出来た。隣の席に座った同級生は、初めての参加でした。その人は、地元飯田市内の老舗の和菓子屋に勤務。今まで、関節が痛くて出席できなかった。昨年、鎌倉の病院で手術した。以後、生まれ変わったつもりで生活している。一人娘が住む千葉へも行くことできるようになった。この人の話をお聞きし、皆それぞれの所で一生懸命生活しているなと思った。沢山の刺激を受けることが出来、感謝でした。元気になって帰ってくることが出来た。
(6月)
・昨日の6月11日土曜日の午後、デンマーク牧場「まきばの家」に出掛けた。清水聖書集会で毎月第一週聖書講話担当の小田弘平様が「生きることと学ぶこと」と題して話された。心に残った話を少し紹介します。
 愛真高校では、働くことを学ぶ。農業班を担当し、木の切り出し、施設の修理等をした。愛真高校は無農薬でコメ作りし、草取りは全て手作業であった。……私の実家もコメ作りしていたので、夏の暑さの作業の辛さは相当なもので、高校生の大変さは同情出来ます。稲穂が顔に刺さり、辛いものです。……農作業、パン作り等、幾つかの担当があって、終了時間になっても「終わる」と言わず、終わりまでやり遂げた。誇りと責任があった。生徒は、常に「人は何のために生きるか」を考えた。私自身、生徒と共に成長しているように感じた。神に寄り頼むことが如何に大切か、ヒシヒシと感じた。
(7月)
・「日々の糧」(矢内原忠雄著、あぶくま書房出版)をいつも読んでいます。1日1章の6月27日、人生喜び悲しみあり。この花を神は持たせてくださる。信じる人には相働きてよろこびとなる。神は、皆、知っておられる。有難いです。一番困った時、つらい時、見ていてくださる。励まされ、導いてくださる。一番つらい時、居てくださる。これらのこと、信じて生きていたい。
・最近の新聞紙上に、九州地方の水害被害について、多くの記事が掲載されていた。余りにも悲惨で、言葉が出ない。被災者の皆さんが、悲しみから立ち直りをしてほしいと思う。国、県はじめ多くの人々の援助が行き渡るように、応援してほしい。
昨日、盆のため家内の母実家に出掛けた。家内の従妹は、我々夫婦がクリスチャンであることを前澤さんから聞いているようであった。我々からクリスチャンであると言えなかった。今まで宣言したことが殆どなかった。物置小屋に集会案内の看板あるので、この看板を見れば、我が家は、キリスト信者であると知っていると思う。 
・今日初めての司会ですので、とても緊張しています。皆さん、最後までよろしくお願いします。
(9月)
・昨年に続き、今年も山中湖のトーチベアラーズで開催されたキリスト教独立伝道会主催の「夏期聖書集会」に、斎藤姉と共に参加できました。一年ぶりに、全国各地から集まられた多くの兄弟姉妹と元気で再会できてうれしく思いました。
・散歩の時、クルミの実が山道に落ちているのを発見したり、何処からともなく金木犀の香りが漂ってきました。虫の声も自然と耳に入ってきます。季節は動いているなあと思います。この中で皆さん、それぞれ大変な思いを胸に詰めて集会に参加されたこと感謝です。日野原重明の著書「生きるのが楽しくなる15の習慣」を読みました。習慣が楽しくなれば生きて行く力となるとおっしゃっていました。私の母ですが、毎回、玄関先に靴を揃えてから上がります。食事後には、エプロンを丁寧に畳みます。洗濯物は、丁寧に畳んでくれます。デイサービスから帰る時、施設職員にしっかりお礼の挨拶をします。習慣が身に付いていることを感じます。耳は悪いため、テレビは聞こえません。笑うことが少なくなりました。新聞を読むのが辛いため、最近は新聞を敬遠します。いろいろ不具合が多くなってきましたが、習慣は変わりません。食事の時間は、とても喜びます。好き・嫌いはありますが、母の身に付いた習慣を見習っていきたいと思います。「幸せな人生は、自分をよくするところから始まる。」と日野原先生は言っていました。顔つきも習慣で、いつも笑顔でいられますと。宇野千代さんは、いつも明るい人でした。その為、いつも人を元気にさせました。 人を元気にさせる習慣を身につけた人と思います。私も笑顔でいるようにしたいです。笑顔を習慣化したいです。
・この頃思うことがあっても行動に移せなくなりました。来月に控えた「カラフト展」も思うように勧めることが出来ず、焦ってばかりいます。 40年間、最北の地カラフトで日本人は、働きました。産業を起こしました。ソ連が進出したため、日本へ引き上げました。持って来た品々を全国数カ所で展示会をしています。静岡でも開催するため、今、準備しています。私の住む地元の自治会長の協力で案内を配布していただき、感謝でした。最近の「いのちの水」を読みまして、吉村孝雄兄の北海道から帰路、全国各地を寄られ伝道活動している様子を知りました。伝道従事者の上に神の憐み、聖霊がありますように、と祈りました。
・8月、「夏期聖書集会」に参加しました。清水聖書集会から3人参加しました。感話では、うまく話せませんでしたが、皆さんの支えによって話すことが出来ました。嬉しかったことは、今回のテーマは「祈り」で、祈りについてよい話をお聞きすることが出来ました。会食の席は自由席で、関根先生から「ここに座って」と言われ、先生の隣で食事しながらお話しすることが出来ました。「清水聖書集会ですよね、これから頑張ってください」と励まされました。
(10月)
・皆さんの顔が見ることができ、ほっとしている。保科さん、元気でいてくれて嬉しい。 金浜さんは、治療が始まっている。中嶋さんは、バイクが故障し大変でした。礼拝の度、皆さんと1回1回顔を合わせられることが嬉しい。吉村兄の言葉、「狭い崖の上を歩いているようなもの」そのことを実感します。日常生活を振り返るとそう思う。下を見ると怖いし、世の中の動きを考えると不安。しかし前を向いていきたい。
・雨の中、多くの人の参集で感謝です。先週、静岡県下の集いが開催され、多くの兄弟姉妹と主に、各地集会の様子を聞けて感謝でした。何時もと異なり、さらに多くの兄弟姉妹と礼拝を持ち、いろいろな集会の様子を知り、また、いろいろな方のお話をお聞きし、新鮮な気分となりました。主にあって一つ、一体であることを感じることが出来ました。
(11月)
・10月28日29日千葉県市川市で開催された全国集会に、元木兄、西澤兄と共に参加しました。丁度、帰りは台風に直面し、約1時間JRが遅れましたが、神様に守られ、無事に帰ってくることが出来ました。今、アメリカ大統領が日本に向かっています。戦争の悲惨さを忘れることなく、しっかりと話し合ってほしいです。北朝鮮を愛してあげてほしい。
・今日午後、妻の甥の結婚式に出席します。隣り同士住んでいました。父親を事故で早く無くしたこともあり、良く面倒を見た家でした。娘は離婚して、実家に戻っています。
全国集会に参加しました。今回のテーマは、「無教会について」でした。前立腺で入院した時(?)に頂いた石原兄の手紙を紹介します。西澤夫妻が清水聖書集会でよく働き、将来のことを安心しています。これも神の御計画と思います。 私も今、石原さんと同じ気持ちでいます。感謝です。 
・日本の四季折々の景色は、美しい。今日も、清々しい景色を見ることが出来た。我が家の狭い庭に菊が咲いて心が和みました。これからさらに寒くなるので、温かくして過ごしたい。元気で生活できるように願っています.
(12月)
・先週日曜日、同居人の命日でした。妹と二人で三保松原に行き、花を手向け、昼食を食べて別れました。亡くなって同居人のことが大切に思われ、その人の偉大さを感じている。私のこと、大切にしてくれたことを思い、それに比べて私は余り優しくなかったことを思い、少し後悔の念があります。無事に終わり今ホッとしています。
・11月26日午後、村松ふさ姉をGHに訪ねました。10月、浜松の兄弟が先に訪問していましたので、私も破格訪問したいと思っていましたが、実現でき良かったです。自室は3畳程度で、押し入れ、テレビがあるのみでした。持物は押し入れにあるのみで大変少なかったです。この様子を伺い、私も整理しなければと思いました。元木姉を覚えていて、会話も弾み、元気でした。元木姉も嬉しそうでした。ホーム内の様子も話してくれました。御菓子はホーム皆さんで頂きますと喜んでいました。後遺症も僅かなよう 職員も親切でした。お別れの時、皆さんでお祈りしました。ふさ姉の祈りはしっかりしていて、信仰を持っている人はいいなと改めて思いました。離れていても繋がりを感じました。
<24日 感話会>
(N兄)体に気を付けて生活してきました。来年も健康に恵まれ、礼拝を続けて参加したいと思う。
(N姉)聖書の中に聖書の時代を感じます。聖書が無い時代、口伝いで御言葉を学んでいた先人達。貧しい人たちが熱心に学んでいた。御言葉を自分のものにしていくことは大変と思います。体調は守られて健康です。 
(H姉)1年間集会を休まないで生きている。集会を取ったら私に何が残る…そんな気持ちで生活しています。その都度その都度胸にしみます。年を取り体が動かないが、皆様に助けられている。感謝しかありません。昨日ナカ子さんの訃報をお聞きしましたが、どうしょうもない気持ちです。神の都合であると思います。御心のままに信じるしかありません。思う様にならない時がありますが、そんな時、イエスにしがみ付いていきたい。イエスの御手を感じます。愚かしい者であっても御手を持っていてくださることを感じます。皆様にお世話になって感謝、そして心から来年もお願い致します。 
(K兄)今年後半、病気となりました。何とか今、大丈夫です。西澤さんには助けられました。来年も元気な心で頑張りたい。 
(S姉)皆さんに支えられ守られ、心から感謝です。元木さんの奥さんがなくなって悲しく、淋しく思います。これから、集会ではお会いできませんが、神様の下で安らかでいてくれていると思います。
(O姉)12月に来て皆様にとお会いでき嬉しいです。また、斎藤さんに電話を頂き感謝です。3ケ月前交通事故に遭いまして、現在、リハビリ中です。1年間大きなこともなく過ごせました。来年から、皆様にお会いできること嬉しく思いますが宜しくお願いします。
(M姉)肉体が弱くなってきました。魂は神から元気をもらい感謝です。西澤夫妻のご愛労を感謝です。祈りが出来る場所を提供してくださり、最近入られた方、若い方が、集会を愛してくださり感謝です。ナカ子さんは、肉体が無くなられましたが、魂は集会と共に歩むと信じます。来年、暗誦聖句を一生懸命取り組みたい。ボケ防止にもなります。集会に参加することが、私の命です。