2016年
1月
1週間の間、感話では何を話そうかと考えて、何も準備できず今日迎えた。集会に初めて参加された近藤さん を迎えられ嬉しい。
昨年暮れから腰痛に悩まされ。医者から何の手当も無くガッカリ。一生腰痛とお付き合いか…と思うと寂しい。正月に澤井さんが見えて、
「可哀想に」と言って体中揉んでくださった。嬉しかった。1時間近く摩ってくださった。そのお蔭で腰の痛みすっかり取れた。肩、背中
を揉むと痛みが取れた。「土川整形外科はいいですよ。」と紹介され、尋ねた。電気治療でだいぶ良くなった。私は困った人に教えること
が出来るだろうか。愛と真で接してくれた澤井さんに感謝。私も、人の喜ぶことをやったならどんな喜びだろうか。
(感話会)
・N姉:集会についてですが、御言葉を聴くこと 人々に合えること感謝 集会に参加する兄弟姉妹は、決して多くないが、思いを持って皆
さんと共にいたい、また、神のみ心に見合った生活をしていきたい。
・S姉:今年の目標ですが、後ろ向きにならないで前へ進みたい。寂しさは皆同じです。自分を信じ、前に進み、明るく生活したい。日曜日
は出来るだけこの集会に参加したい。明日入院しますが、3日後には退院。一つ一つ乗り越えていくことが目標です。
・S・U姉:清水集会に参加して1年が経つ。温かい雰囲気があって、皆さんと初めて会った気がしない。毎週この集会に参加することが楽
しみです。神様を信じ前向きに歩いていけたらいいかな、と思う。
・N兄:今月8日膀胱炎で寝込んでしまった。20日の日、家の近くの薬屋の前で倒れ、病院に入院し、29日退院しました。またこうして
元気になり集会に参加できてうれしく思う。
・M姉:去年3月から再び参加し始める。聖書を学びたくて参加してよかった。私も清水集会の事を宣伝しています。伝道者にはなれません
が、準伝道者にはなりたい。天地創造者が全てを、お釈迦様も誕生させた。いつも明るく前向きに生活したい。
・M兄:この1月で92歳になった。良く生かされたと思う。感謝です。昭和28年に清水駅に来て、缶詰会社へ入社した。単身赴任の時代
も長くあった。アメリカ宣教師の路傍伝道に出くわす。あいまい信者として今日まで来た。前は教団・今の清水聖書協会に参加した。子供
が山形の独立学園に入学したのが縁で無教会へ移りました。妻は介護「3」ですが、イエスの再臨を信じて、神の憐みにより聖書の御言葉
に支えられて生きて行きたい。御言葉は永遠の命、神が遣わされたイエスを信じ、新天新地で神と共に生きる希望を持って生きて行きた
い。妻に悪口言ってしまうが、平安な毎日を過ごしたい。
2月
・先日、池上彰さん司会の「何故、戦争は亡くならないか」の番組を見た。メディアは正確に客観的に報道する義務があるとおっしゃってい
たのが印書に残った。我々は報道に振り回されず静かな時間を保ち自分の頭で考えたい、そして、メディアに振り回されないようにしたい
と思った。
・代議士秘書の汚職、男女関係、議員辞職、殺人事件、老人ホームの虐待、高校生による祖父母殺害、食品会社の賞味期限ゴマカシ等々、毎
日のように暗いニュースが報道されている。聖書の十戒では、父母を敬え、殺す勿れ、欲がはらんで罪を犯すという。多くの罪を赦すイエ
スを信じる幸いを心から感謝したい。
・集会に来て皆様にお目に掛かるのが楽しみです。心の内を知り合った仲間同士で語ることは、恵みです。中でも、中嶋兄が休みなしで参
加 してくれてうれしい。先週S・U姉から「お休みしないでね」と言われ嬉しかった。N夫妻、毎週お世話になり感謝。毎週招いて下さら
なければ私の信仰は、どうなっていたのか…。家の聖句カレンダー、私の居場所に張ってある。イザヤ4:2「剣を打ち直し鍬とし…」この
聖句が好きで1日に何度も口ずさむ。予言の書であるが、現代に当てはめても素晴らしい。特に好きなのは「国は国に向かって剣を上げず
もはやた戦わない」の言葉です。日本中の人々が考えてくだされば、あちこちのいざかいもなくなる。世界は皆兄弟です。
3月
・集会に復帰して丁度1年が経った。感謝です。これからも宜しくネ。米国アップル社創設者・スティーブジョブスのスタンフォード大学卒
業式のスピーチで、「今日の日を最後の日と考え、1日大切に生きろ、ハングリーであれ、愚か者であれ」のメッセージが心に刻まれてい
る。先日のTVで、韓国のナザレの施設のことが放映された。敗戦後幸せな生活を過ごす韓国女性の姿が柔和であった。その夫人の幸せの
根源は、イエスに出会ったことを思いながらお聴きした。
・今年の3月11日は、東北大震災から5年。5年前の記憶、皆忘れられない。新たな思いをする。死亡、行方不明者は約2万人、避難生活
者17万人。今も除染土が入った黒い大きなビニール袋が町のあちらこちらに積まれたままである。復興はまだまだである。震災後に1・
2年間は献金が多く集まったが、今、献金の話しは聞かない。スーパーの買物も、被災地の農産部を意識して買わない。自分の中で東北の
産物を買いたい。静岡県は、いつ南海トラフが起きるかわからない。富士山の爆発もそう。そういう所で自分が生活していることを忘れな
いでいたい。これからも備蓄の確認を怠らずしていきたい。
・イースターおめでとうございます。毎週の礼拝参加のための送迎感謝です。50数年前の長女出産を思い出す。育児は未知の世界でしてど
うしたものかと困った頃を思い出す。 どう育てたらよいか考えあぐねた。私には何もできない、ということをわからせていただいた。皆
神にお任せ以外に手がない。私にできることは何か…ただ一つ祈れることを知らされ、祈ることにしようと考えた。知恵も金もない、祈る
ことのみが手段であった。今祈ることが少ない。希望通りに御国へ行きたい、と祈るのみです。
4月
・先日テレビで拝見しました。ある修道院ですが、そこに住んでおられる修道女が祈りについて話していました。「人の祈りは、吐く息が不
幸であっても、吸う息は感謝でありたい」。この一言、とても心に染み入り、感動しました。
・曇りの今日、富士山は見えないだろうと思いながら礼拝会場のマンション・エレベーターを降りて眺めたら見えた。嬉しかった。就寝前の
祈りで、集会の兄弟姉妹を祈るが、 祈る相手がいるということは嬉しいことです。
私の現在の職場は、人工透析室です。この職場には、配属されて3年目の人がいる。透析室は心が病んだ看護師が来ることが多く、その人
たちと共に仕事をしている。私は現在、5年目に入った。今元気にリーダーとして働いている人は、3年目の人。この人は、1年少し透析室で
働いたがその後8カ月休んで復帰した。看護師は命を預かるため「患者さんには優しく」が合言葉。失敗すると倍くらいに返ってくる。指導
の立場に立つと違った人になり、今、生き生きと一生懸命に働く。その人の性格、几帳面さがあって時々許せなかったりして悩むようであ
る。「試練に遭う時はこの上ない喜びと思え」。(ヤコブの手紙) 新しい人が謙虚で働く姿を見るにつけ、私自身、大いに刺激を受けてい
る昨今です。
・先日、家の近くにある狭い道の「追分踏切」を渡ったが、両方から自動車が来て、自動車を避けたところ、線路に倒れた。倒れた私の姿が
目に入った後続車運転手が、慌てて駆け寄り起こしてくれた。体のあちこちを打撲してしまったが、今後このような過ちがないように気を
付けたい。
ある日、落ち込んでいた。気立ては良くないし、信仰も進まないし「わたしはダメ人間」と夫に言った。「ダメ人間は一人もいな、決し
てダメ人間と思わないように」と言ってくれた。主の前では、皆が「土の器」です。神がそれぞれに用いてくださる。神の栄光を表わす器
と思い、しっかり生きていきたい。
5月
・ 九州で起きた大地震が怖く、5月14日から徳島で開催される無教会全国集会への参加が、如何なものか心が揺れ動いた。しかし、イエス
の導きで行くことができた。支えになったのは、「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(箴言16:9)の
御言葉でした。
・ 先週、両腕が痛く、多くの時間を寝て過ごした。土曜日の夕方になって、明日、司会者であることに気付き、ビックリしてしまった。司会
者の感話を1週間かけて用意することもあるが、今回、急いでまとめた。大したものでなくて……。ルカ10:38からの「マルタとマリ
ア」を拝読した。多くのことに思い悩み、心を乱しているが、必要なことはただ一つであるとの教えです。わたしの好きな個所です。
我々、集会を欠席することがある。行かれないから仕方がないではなく、集会を第1とすることは必要です。イエスは必要なことはただ一
つとおっしゃっている。生活で、あれも、これも、でなくて、必要なものをしっかり持つことです。もてなしに一生懸命なマルタに「そん
なことはないよ」と言っているのではない。マルタの働きも大切なことです。隣人マリアを見習って生活したい。
6月
・ 5月14-15日、徳島市で開催された全国集会に参加しました。吉村兄の講話「希望に生きる」の中で、「神の言葉は聖所だけでなく、
自然の中……例えば、月、星、虫、川のせせらぎ等の中にもある」とのお話をお聞きした。寝る前に星を見ると「あ〜、今夜も見えた」と心
が落ち着き、癒される。今朝の4時頃には鳥のさえずりも聞こえた。大きな慰めを与えられ自然は、御言葉と同じと思う。神は絶えず愛と
慰めを、自然を通し与えてくださっている。
・ 先日、缶詰会社(「宝幸水産」)の同窓会に参加した。在職中、「レッテルが違うではないか、嘘つき」と言われた。あるキリスト教教会
の教会員あった私は、警察の調べ受けた時、事件に耐えられず頑強に抵抗し、書類送検をされたが、この事件がキリスト教信仰の証となっ
た。結果的にその会社を3年で退職した。今は良き思い出となっている。
・ 週の初めに、この集会所に集うことが出来て感謝。皆さんの元気な顔を拝見することが、幸せです。私87歳と高齢になりました。いつも思
うことは、今日のこの集会が最後となるかもしれないということです。こうして集会に参加させていただくことに感謝です。前々回、私
は、気分が勝れず、次回集会は無いかもと思い、その夜、娘に電話したら「前向き思考で行かなければね」と言われた。出席できるか、で
きないか、イエスにお任せしていかなければと、しみじみ思う。出席の意志が問題であり、出席できるかできないかはイエスが示してくだ
さる。今日、皆様とお会いできはこと、本当に感謝です。
7月
・仕事の中で思うこと……現在、仕事が忙しく、休憩も取れない状態です。重症の入院患者が多く、目の前の事のみに集中せざるを得ません。
所属部署の看護師が削減された中、新人はまだ一人前に働けません。その中で思いましたが、忙しい時ほど慌てず、助けてほしい時に「助
けて」と言わなければ、と考えています。
前回の礼拝で歌った讃美歌313番の3番、「主よさわがしき 世のちまたに われを忘れて いそしむまも ちさきみ声を 聞きわけ
うる しずけき心 あたえたまえ」を思い出しながら平安な心を保っています。大きな声を出すと患者や周囲が動揺します。「神様助け
て」と心の中で叫ぶことがあります。そんな時、何時も神様が見ていてくださっている、このことを忘れないで仕事したいと思います。
ターミナルの癌患者もいます。愚痴は今後看護師同士で言わず、神に言って仕事したいです。新しい人を育てる気持ちでやって行きたいと
思います。
・今日も迎えに頂き集会参加でき、この世の宝物を頂いたと同じ、否それ以上、皆さんとお目に掛かることが出来ることは、この世の最高の
恵みを頂いたことと同じです。 「信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することです」(ヘブライ人への手紙
11:1) この聖句に心が惹かれます。今、私たちは、直接、イエスにお会いできません。イエスは、昔、存在しておられたこと、この
ことを聖書により信じる事ができます。目に見える物は、誰にも簡単に信じることができます。見えないことを信じることができたこと
は、有難いことです。 イエスの命令に中々従うことできません。少しでも従いたいと思ったことがありました。「7日目の日は、安息し
なさい」、何もしないでいよう。そう決して何年たったでしょうか。 御国に行くまで聖日を守っていきたいです。
<7月31日 感話会より>
(N姉)
・皆さんの集会参加が感謝です。「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」 信仰の先輩を見て少しわかりました、集
会に参加することが喜びであったことを。イエスに対峙して生活したいと思います。
・最近の喜びは、散歩の時間です。景色が美しい。そして、読書です。歳をとり目を悪くし読書もままならないですが、字の大きな本があっ
て読書が楽しみです。そして、筋肉をつけたいため週1、ヨガの教室に通うのも楽しみです。
(H姉)
・一昨日から風邪気味です。いつもの風邪は原因がはっきりしているが、今回は不明です。一昨日から3日間、寝て暮らし、今日に至りまし
た。まだ本調子でありません。
・どうしたらイエスに喜ばれるか、真剣に考えたいです。いつか自分の命が取られます。取られたら遅いので、後悔しないようにしたいで
す。そのために祈りを忘れないように生活したい。イエスの方に多くを注ぎ、この世のことに縛れないようにしたいと思っています。
(M姉)
・この集会に通うことが一番嬉しいです。ここには、愛が一杯ある。それが嬉しいです。私は、パートピア(社会福祉協議会)へ演芸で行っ
ていますが、皆さんお年寄りばかりです。会話が一方通行ですが、皆さんがとても心優しい人ばかりです。「あんたお座りなさい、御菓
子、買ってこようか」と、親し気に声を掛けてくださる。そこに伺うことが楽しいです。
・今年嬉しかったことは、斎藤さんと夏期聖書集会に参加でき共に祈り合えたことです。
(K兄)
・昨年古希を迎えました。8年間、忠実に服用し続けましたが、服用を辞めた途端に元気になりました。セカンドオピニオンは大切と思いま
す。患者は医師に不義理をしては……の遠慮が有ります。私は、逆らって元気となりました。8年間は自分を隠そうとしていました。
・私は神様を信じます。昨年10月半ばに静岡の街を散歩していた時、いい音色が聞こえてきました。手回しオルガンでした。棺桶に入る前
にいい音楽を聴いた思いでした。音楽を心のオアシスとして奉仕したいとの思いで、今、私もその音楽隊に加わり、月2回の日曜日の午
後、ボランティアで演奏しています。
(M兄)
・1995年の今から21年前、「静岡クリスマス講演会」で、はじめて話す機会を与えられました。もう一人の講師が矢沢昇兄でした。司
会は石川兄でした。聖書引用しながら、入信の経緯を話しました。
・今年の半年を振り返って…ヤコブ書2:14-17 「言うだけではいけない、行動が伴わなければいけない。」 自分を振り返れば、生
かして頂き感謝です。無教会の集会には、昭和60年から参加を許されました。集会の人々への感謝です。
9月
・8月礼拝なく、今日の日を心待ち、それほど集会大切。庭に風船かつら揺れているのを見て、秋の訪れを感じている。
・老眼の進行が気になる日。職場ではパソコンを使用し、目の衰えを感じる。若い人はパソコンの操作が早く、付いて行けない。患者さん、
身のこなし早い。夫を無くし、辛かったでしょうが、よくやっている。10年のお付き合いでよく見える。透析が終わってもベッドの周り
がきれいで、来た時のよう。「わたしも目が悪いのよ」と、左は全盲、右は白内障である。日々身体を鍛えている。 私の目の悪化は、神が
与えてくれた。人との出会いを大切にしたい。私、自由に育つ。祖母の洗濯物のたたみが綺麗で関心する。学んでいきたい。
・数日前、県立図書館へ行った。駅からバスを利用した。運転手に帰りの時間を訪ね、分かっていたつもりが、時間間違えてしまった。徳川
文化の開会式参加者の自動車に同乗させてもらい帰ってきた。マタイ10章「小さな者の一人に水を飲ませてくれた人は、報いを受ける」の
御言葉を思い出した。以前も落とした財布を中学生に拾っていただき家に届けてもらったことがあった。只々感謝。
・今朝、起きたら体が大変に感じ、休まなければ…、と思った。しかし当番なのでと思い、出席した。徐々に良くなってきて嬉しい。二、三
人集まる所に主が臨まれる、と言う。この集会は小さいが大切にしたい。人生の大切な時に連れてきていただき感謝。聖書により、イエス
を知ることができた。20歳から聖書を頂き、多くの人に感謝している。これから後、ほんの少ししかない人生であろうが、日々感謝して
生活し、祈っていきたい。
10月
・ロマ書で信仰による義と律法について学ぶ。選民ユダヤのみ神の恵みを受けることはない。異邦人でも律法を守らない者は恵みを受けられ
ない。割礼受けた者も恵みを受けられない。戦後のアメリカ人の布教によりキリスト教が広まる。信仰を大切にしたい。福音の危機。神の
憐みを頂き、生涯を終わりたい。
・2年前、冊子を読む。祈ることは主の栄光が現れますように、と主中心の祈りが良いといわれていた。私の祈りはどうでも良い事、自分中心
の祈りでこれを読んだときは恥かしいと思った。祈らないよりは祈った時の方がよい、そう思った。1日を通し主を求めるのはごくわずか。
山形の独立学園にいらっしゃった梅子先生曰く、「神の前では、赤子のようなもの」。私も赤子になりたいと思った。疑いを持たずただ信
じてイエスに任せ、歩みたい。
11月
・前週の10月30日、県下の集いが無事に終わり良かった。感謝。次はクリスマス講演会が控えている。協力してやっていきたい。
・県下の集いでは、久しぶりに浜松聖書集会の方々にお会いできた。A姉は全盲であるが明かる。いつも感心し、また、刺激を受ける。M姉
は、高齢になって聖書の理解が深まったとのお話をされた。驚きであった。励みになった。「自分を愛するように人を愛すること」は難し
いが…、この御言葉、忘れず生活していきたい。
・この頃、物忘れがひどく探しものばかりしている。前回の山形行きは、妻の病気と先日来の寒気で行けなかった。今回、どうしても行きた
く、家内を預け一人で行った。去年の時刻表を紙に書いて行った。しかし、当日は臨時ダイヤであった。夜7時半秋田行きの列車で行くこ
とができた。家内もショートステイで元気に過ごせてよかった。先日、浜松聖書集会の「みぎわ」を読んだ。信仰生活について書かれてい
るのを読んだ。先人の信仰を習うのは良くない。救い主はイエスのみ。ひたすら毎日の祈り、助けを仰ぎたい。日々の導きを祈りの中に求
めるべきだ。自分は勉強、信心の足りない者、このことばかりを思わず、ひたすらイエスを求め歩みたい。
・先週の1週間、体のあちこちの痛みが出て、苦しむ どうしてこんなに痛みが…と、考え込んだ。以前集会に参加されていたI姉の言葉を思
い出した。「高齢になり手仕事ができなくなる。痛いところも増える。でも最後に両手を合わせて祈ることができる。」と感話で話され
た。痛いところが多くなると家事はほとんどできない。I姉の言葉、祈りができることを改めて思い出した。祈りは私たちに残された大きな
恵みと思われた。これだけは御国に入れていただけるまで私に与えられた恩恵です。最後まで祈っていきたい。
12月
・クリスマス講演会の参加者は、33名、内、遠方より埼玉の栗原兄、横浜の清水姉、沼津の小田兄が参加された。日曜日の午後は、家での
んびりしたいという気持ちが湧いて来ますが、その時間帯に講演会に参加された方々が大勢いたことは、感謝に耐えない。
・最近のニュースから。ロシア・プーチン大統領来日し、総理と会談した。終戦後、早73年経った。私の一番の関心事は樺太生まれでロシ
アに占領された形で、現在ロシア領、北方領土となった。戦争終結間近に日本と不可侵条約を結んだロシアが、アメリカ、イギリス、フラ
ンス 日本との条約を破棄し、満州から、樺太から攻撃してきた。北緯50度を超え日本に侵入してきた。日本国内の戦闘は沖縄だけと
なっていたが、樺太も戦場になった。終戦前から、後もロシアの攻撃を受けた。樺太生まれ樺太育ちの私はロシアを赦せない。現在はその
気持ちは薄れたが、NHKの第2次大戦、連合軍の放映があった。ドイツがユダヤ人に対する迫害・虐殺、日本もハワイ・真珠湾攻撃や南方
のフィリピン、サイパン、トラップの攻撃、忘れかけていた戦争を思い出させた。戦争は無差別、広島・長崎に原爆投下があった。世界平
和をうたう各国ではあるが、現在も中東、民族戦争続く。天災地変や政治による貧困が続いている。神を恐れるキリスト教が全世界に広ま
るが、この精神が本当に全世界に受け入れられ、神を敬い、人を愛するキリストの教えに従い、人々が安心して生活できるように、と切に
願う。
(25日クリスマス特別集会 感話より)
・H姉 子供2人が成長し、独立し家を離れた。それぞれが、生活する所で教会に通っている。母親として嬉しい。
・S姉 集会参加3年目となった。乳がんを患い苦しい時もあった。聖書は分からないこと多い、難しい。コツコツと皆さんのお話をお聞き
し、また私なりに聖書を読み学びたい。
・N姉 その日その日を精一杯生きたい。祈り出来ない時がある。神を見て、また、見てくださっていることを信じていきたい。最近、一人
で生きているのではないと強く思わされる。
・N兄 2月隊長が悪くなり倒れ、救急車で搬送された。体に菌が入り、13日入院することになった。今、こうして元気になった。有難
い。皆さんにお世話になった。感謝。
・K兄 今年、何となく生きて来れたと思う。年も年であるので今後のことは予測付かないが、元気で生活できればと願う。
・O姉 皆様にお目に掛かれ、西澤さんの誘いで日曜日出席している。いつも日曜日参加したいが、孫の守を頼まれたりし休むことも多い。
聖書読むことできないが、これからも集会に出席させていただいて学びたい。
・O兄 今年3月、島根県江津市しより沼津市へ転入した。今、9カ月経つが不思議である。3年前から住まいを探し続けた。信頼している
人が来て、「住まないか」と誘う。遺族からも申し出があって決めた。ヨハネ福音書14章に「心騒がすな、神を信ぜよ。父の所には住む
ところが沢山ある」とある。ヨハネ14章以下丁寧に読む 17:11「悪いものから守ってください」、18「世に遣わす」…イエスが
責任を持つ。 グループとして歩めと言っている。清水聖書集会も支えあうことが大切であり、助言も必要。15:5…私はつながってい
る、イエスも離さない。私の愛に留まっていなさい、しっかり手を握っていなさい。17「互いに愛し合いなさい、これが最後の命令であ
る。」 3月28日沼津に来た時、途方に暮れた。愛真高校で聖書を教えた。聖書を学ぶと生活が離れていたことを感じた。聖書の物知り
でなく、書かれた通りを生きることの大切さを感じる。長谷川保先生にお会いした時感じた。バス停で1時間話した。「聖書の通り生きて
来た」人と思った。
・O姉 両親クリスチャン。教会の中で育つ。高橋先生に言われ愛真高校へ行き、そこの保健室で働く。全寮制であり、全て丸見えであっ
た。いつまでも愛真に居たいという思いがあったが、沼津へ来て解放された気分にもなった。沼津岳南教会の礼拝に参加している。 クリ
スマスを迎えるにあたり、イエスの愛を深く感じる。NHK教育で早朝5時「心の時代」、奥田先生「十字架上わが神、わが神どうして私
を…、全て委ねます」全て委ねることに尽きる。腎臓悪くし、主人の腎臓を移植した。家事はてきぱきできない。月1回熱海の病院へ通院
している。教会に繋がっていたい、こちらにも繋がっていたい。