ロマ書5:1-21                2016.11.6
主題:聖霊により神の愛が注がれている(5節)
▢私たちには救いの希望がある
 私たちは、私たちの罪を買い取るため身代わりとなり十字架に架かり、天国へ帰られたキリスト・イエスのお陰によって、今の恵み(命を失うことなく、罪を示されながらも生かされる)を頂き、そして最後の日に神の子になることを信じて、その栄光にあずかる希望をも誇っている。希望ばかりでなく、苦難をも誇る。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むことを知っているからである。
▢確かな希望
 希望は私たちを裏切らない。イエス・キリストが十字架上で召されても、その後、聖霊として私たちに臨まれ、支えてくださっている。この聖霊により神の愛が、私たちの上に、滞ることなく常に注がれるからである。
 聖霊はキリスト・イエスの生まれ変わりであり、イエスからバトンを受け継いだ。ヨハネ福音書にそのことが記されている。「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。… この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」(ヨハネ14:16-18)「実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」(ヨハネ16:7)
 十字架につけられて、天国へ帰られたキリスト・イエスは、以後、肉眼では弟子たち、信者たちに姿を見せることは出来なくなった。その後、聖霊により、霊の目を通して自由にお目に掛かれるようになった。いつでもどこにおいても、御心に叶う人達に臨まれ、支援され
る。
▢聖霊は生命の霊
 聖霊は生命の霊である。上から命が注がれる。庭の夏期の成長を見て実感する。柿は、10月下旬頃に色づき始める。並行して一気に実が大きくなる。私は、寒気により色づくことは予想できたが、同時に実が日を追うごとにこんなにも大きくなることに驚いた。色づきつつ、実が膨らむ様子を見ていると、『命・エネルギーが注がれている』ことを実感した。夜中には露が注がれ、日中になれば日の光が注がれ、滞ることなく成長を続ける植物、果実は、神の恵みを遮る(さえぎる)ことをしない。空に向かい神の恵みを素直に受けている。 
▢まとめとして
 キリスト・イエスの十字架上の姿を思い起こし、私の罪のため燔祭として捧げられたことを忘れずに生活したい。そして、何よりも、神と向き合う一人静かな時間を確保したい。静かな部屋で祈る時間、あるいは、外に出て大空を仰いだり、取の声を聞いたり、周囲の自然を眺めるゆとりの時間を確保したい……柿の実が、聖霊を受け、恵みを日に日に膨らませ成長するように、私たちも、神の恵みを素直に受けながら、日々明るく元気に、また、癒され、励まされながら生活したい。