ローマの信徒への手紙1章                   2016.9.18
 本手紙全体を通しての主題は、1章16-17節であり、「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」に示される。端的に言えば、「福音は、信じる人に救いをもたらし、神の義が実現される」ということである。
 新約聖書の中にパウロの書かれた手紙が13ある。中でもこの「ローマの信徒への手紙」の冒頭の挨拶が、もっとも長いものである。このことひとつをとっても、パウロのこの手紙への熱の入れ具合が理解できる。1節「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから……」 神様から直接呼び出され、奴隷の如く従順に仕えてきた者との自己紹介である。召命された者として強く認識し、身を律して歩んできた、という自信がうかがえる。読者に迫力が伝わる。
16-17節は「神の義」についてである。神の義とは、神の本質的な性質、特徴であり、神は約束を誠実に守り、犯したり、破ったりすることはないということである。人との関係では、不正や罪の裁きと罰における神の正しさ、公平さを示している。
 18-32節までは、人の不信心、不道徳に対する神の怒りを説く。何故、この福音が必要であったのか。それは、人が自身の不道徳により真理を見えなくし、神の怒りが天から現されたのである。パウロ自身、この手紙の7章で、「心の中では善を為そう、人を愛そうとしても、それを実行できない弱い、不完全な人間である」と吐露している。また自身の弱さを知る人は、「神について、神の存在について」は、創造者である神が創られた物=被造物を通して知っているにもかかわらず、神に従わない。神を信じることをせず罪を犯す人であって、人の手で作った像を神に代えて信じる。だから神は、人の欲望の為すに任せ、人は偶像を拝み、自身の欲望を満たすために生きるのである。
▢まとめとして
 野の花、草の葉を、ルーペを通して眺めると、その細胞の瑞々しく宝石のような美しい輝きは、人の手では作り得ず、天地創造の手による作品であることを認めざるを得ない。郊外に出て自然の中を散歩すれば、清々しい山々の風景、どこからともなく流れる風が肌に触れる心地よさ、雲の流れにより大空が刻一刻と変化する様はどんな画家でも描き切れない美しさである。これ等の自然を通して、天地を創造された神の存在を認めざるを得ないと思う。
 神の存在を確かに認め、信じるところから、神への畏敬、感謝が生まれる。また、救いをもたらしてくれる神の義が示されるのである。