マタイによる福音書23:1-39      2023.9.17

                                  西澤 正文

テーマ:彼らが言うことは皆守りなさい しかし、行いは見習ってはいけない(3) 

 イエスは、ファリサイ派の人々、祭司長等を相手にするのを終え、学問の無い民衆や弟子たちだけになった時に語られた。

 「モーセの座に着いている」(2)律法学者、ファリサイ派の人々とは、モーセの十戒を定めた律法の教師として解き明かし、その座についている。彼らが言うことは正しい。皆守りなさい。しかし、行いは見習ってはいけない。何故なら何も行っていないからです。

 だから、あなた方の中で一番偉い人は、人に仕える人だ。だからあなた方は人に仕える人になりなさい。仕える人は皆から感謝され自然と「リスペクト」される。その反対に高ぶる人・傲慢な人は、敬遠され、人々が離れ、気が付けば孤立している。これ程寂しい人生はありません。

 

 律法学者、ファリサイ人は、自分の善行を宣伝し、人の為でなく自分のために行っています。これでは何も価値がありません。イエスはこのような態度を徹底して嫌います。本末転倒 です。自分をよく見せようとする人は、自分ではわからないが、周りの人は何となく感じ、敬遠されます。  

 イエスは、その逆のことを求めます。「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイ6:3-4) 私達は、天国へ行って神から評価を受けます。

 人目に触れない事でも、必ず神、イエスは見逃されません。必ず見ていてくださる。人に知られていない良い事について…しばらくして、人から「あの人は、あの時、これこれこういうことをなさったんですよ」と教えられた時、ああそうだったんだ、あの人は偉いな~と驚く。今まで自分で思っていたよりも、5倍も10倍もの価値がある人だ、感心します。 

▢むすびとして

 良い行いは、目の前の人と言うよりも、その背後に居られる神様、イエス・キリストにする、この考えがなければできない事です。背後に居られる神、キリストを思い起こし生活したい。