ヤコブ1:1-27                      2016.2.21
▢ヤコブの手紙とは…
 ヤコブの手紙は、紀元50年頃、異邦の地にすむユダヤ人キリスト者に向け、真理を聞くだけでなく、他者を愛し仕える献身が、真の信仰であり、信仰に生きる人と説いた。試練を喜んで受け入れなさい「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。」(2)
 人生は、試練の連続である。私は最近、人生は「我慢比べ」と思っている。人の願い、思っていることはそうやすやすと実現できるものではない。否、実現しないことの方が多い。ある日、TVで女優の吉永小百合が、しみじみこう言っていたのを思い出す。「生きるって、本当に大変なことなんですよね」 感情をこめたその一言が心に沁みた。人は皆、大なり小なり、その人その人なりに重荷を背負い、生きている。 
 身近な人の具体例であるが、会社の方針により単身赴任の繰り返しのためマイホームから通勤できない人、母の介護のため早期退職の道を選択した先輩、難病や重い障害を背負い施設生活や病院生活を余儀なくされた人、交通事故後遺症により自由に外出できない人、運送会社勤務の長距離トラック運転手が家に帰るのは週1日で母子家庭と変わらぬ生活となり、妻子との距離が埋まらず家の中で居場所がなく退職後離婚した父等など、私の身近にもこのような人が多くいる。
 このような辛い人生に直面した時、忍耐する中で適切な知恵が必要な場合がある。「知恵が欠けていると思われる時、信仰により神に求めなさい、切に願いなさい。慌てず心を据えただ神に願い求めなさい」(5-6)苦難に直面した時、例えば、苦しい時、不安な時、迷った時、悲しい時、心細い時等、最善の対処の仕方を示してくださる知恵を神に願い求めなさい、という。

 讃美歌313番は、その対処法を教えてくれる。神様の御声に耳を傾けなさいと。
  1)この世のつとめ いとせわしく 人の声のみ しげきときに 内なる宮に 
    のがれてゆきて われは聞くなり 主のみ声を
  2)昔主イエスの 山に野べに 人をば避けて 聞きたまいし いともとうとき 
    み神の声 今なおひびく わが心に
  3)主よさわがしき 世のちまたに われを忘れて いそしむまも ちさきみ声を 
    聞きわけうる しずけき心 あたえたまえ
 この章の後半でヤコブは、「神の言葉を聞いて実践する人になりなさい」と説く。新約聖書の新しい戒め「自分を愛するように隣人を愛しなさい」の「愛すること」は、具体的なことであり、お題目を唱えることではない。それでは「愛すること」の具体的なことは、何か…… ・祈ること ・訪ねること ・手紙を書くこと ・電話、メールを送ること ・
声かけ等などである。
 先週、集会場に向かうマンションのEV内でこんな会話があった。集会場に向かうある姉妹が、同乗した幼い男の子と祖父に向かい「貴方可愛いわね、おばさんあなたにお目に掛かれて嬉しいわ、元気が出てくるもの。」それをお聞きした祖父が嬉しそうにニコニコ笑っていた。きっと、自宅に戻り、「可愛いって言われた」と報告したことであろう。
 愛することは、このような小さな声かけである。イエスの地上30余年の生活は、全て人々のために捧げた生活であった。無私の人生であった。自分自身の何らかの資産、価値を人のために提供することであり、犠牲無くして愛はない。自分のためでなく隣人のために生きることの方が幸せであり、神様も喜ばれる。イエスと共には、隣人と共に、である。
▢まとめとして
・試練が喜びに代わるのは、ピンチがチャンスになり、悲しみが喜びになり、神・イエスに接近できる機会となるからである。
・神の御言葉をよく聞く者であり続けたいと願い、そのように心がけ生活する人の近くには、常に神・イエスが近くに臨んでおられる。ま

 た、このような人には最適な知恵、御言葉が用意されるのである。