マタイによる福音書24章        2023.10.1

小田弘平

 イエスに従っている弟子たちはすべてイエスが導いてくださると信じて安心してイエスに従っていた。しかし、イエスの説かれる福音に抵抗するダヤ教徒はこれまで作り上げた伝統と権威を守ることに必死だった。その象徴が神殿だった。ところがイエスは弟子たちにその神殿は崩壊し、「この世の終わり」が来ると言われたのだ。

 これを聞いた弟子たちは恐ろしくなり、他のユダヤ教徒に聞こえないように、ひそかに尋ねた。そしてイエスが言われることは弟子たちが想像もできない恐ろしい内容だった。どんな思いをもって弟子たちはイエスの言われることを聞いていただろうか。 

 「世の終わり」が来るときは前兆があると言われる。「メシアだと名乗る者が大勢あらわれ、戦争や飢饉や地震が起こる。これらは新しい神の国到来のための産みの苦しみだ。あなたたち(信徒)は殺され、民から憎まれる。正義が失われ、多くの人々の愛が冷える」と。

 

 なぜこのようなことが起こるのか。人類を創造された神は人間の自発的な悔い改めによって新しい再創造された人間になることを願っておられる。神は私たちに良心を植えておられる。しかし人間は人間に与えられた自由意思を悪用して、欲望のまま罪の世界に生き、飢饉を起こし、戦争を続ける。

 そのため神は最後の手段として天に帰られた主イエスを再度地上に特命全権大使として派遣(再臨)される。世の終わりまでのいわば「執行猶予」の時をもイエスは全世界に福音を宣べようとされる。そのためにイエスを主と仰ぐ信徒が用いられる。神はその闘いを助けようと私たちに聖霊を送られた。弱い私たちの先頭には復活された主イエスがおられる。『主よ、主よ』と言う者だけが天の国に入るわけではない。天の父の御心を行う者だけが入るのである。再臨信仰は我々イエスを主と仰ぐ信徒に語りかけられている信仰の核心であると思う。

 世の終わりが来る日を誰も知らない。ノアの洪水のも誰も気が付かなかった。そのために「目を覚まして」いなさいとイエスは言われる。暗闇を進むためには光がいる。マタイはそれゆえ「神の国と神の義を求めなさい」と言う。それが信徒の光だ。それによって最後まで主イエスに従い抜くことができると言う。