詩編92編             2014.9.7テーマ:感謝 

1【賛歌。歌。安息日に。】  

2いかに楽しいことでしょう 主に感謝をささげることは いと高き神よ、御名をほめ歌い 

3朝ごとに、あなたの慈しみを  夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは 

4十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ  琴の調べに合わせて。 

主の御名をほめ歌い、毎朝主の愛を、毎夜主の真実を主に伝えることのできることは楽しいことである。 

実際に、感謝がどこまでできているか、と振り返れば、口だけの感謝が多いことに気づくことが多い。朝の感謝は、今日も健康を与えられて感謝、そして一日を前向きに明るい気持で過ごすことができますように、と願う。夜は、過ぎた一日を振り返り、穏やかに満たされ、過ごせたことへの感謝である。この感謝により充実した思いで、安らかな眠りにつくことができる。 

 

5主よ、あなたは 御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。 

6主よ、御業はいかに大きく 御計らいはいかに深いことでしょう。 

7愚かな者はそれを知ることなく 無知な者はそれを悟ろうとしません。 

主よ、あなたの御業を祝わせてください。あなたの御業は計り知れないほど大きく、あなたの心配りは計り知れないほど深いものです。しかし愚かな者、無知なものは、神を恐れる敬虔さがありません。したがって神を知らず、知ろうともしない。 

 「主の御業を祝わせていただく」とは、何と謙遜な低い姿勢であろう。それだからこそ、主の御業、御力の御恵みを感じることができる。傲慢な姿勢の人は、主の御力、御恵に対する感覚が鈍い。その反面、神に逆らう者が繁栄するのを知ると心が惹かれ、落ち着くがなくなる。日頃の主に向かう謙遜な態度の積み重ねが大切である。主はいつもわれわれ一人ひとりの姿勢を私たちの知らないところで眺めているお方である。

 

8神に逆らう者が野の草のように茂り 悪を行う者が皆、花を咲かせるように見えても 

永遠に滅ぼされてしまいます。 

9主よ、あなたこそ、永遠に高くいます方。 

10主よ、あなたに敵対する者は、必ず あなたに敵対する者は、必ず滅び 

悪を行う者は皆、散らされて行きます。 

11あなたはわたしの角を野牛のように上げさせ 豊かな油を注ぎかけてくださることでしょう 

12わたしを陥れようとする者をこの目で見 悪人がわたしに逆らって立つのを  

この耳で聞いているときにも。 

 神に逆らう人は野の花のようで、一時的に芽吹く青草のようである。神に逆らう者が生い茂り、花を咲かそうとも、それはほんの一時的なものである。そのような人たちの運命は必ず滅びる。あなたは滅びることなく永遠にこの世を支配される方です。わたしはあなたから真実と愛を与えられ、また、あなたにより大きな喜びが与えられる、そのような確信をもって生活する。たとえ私を陥れようとする者が多く私の周りに取り囲もうとも。 

 我々を見つめる主の眼差しは、常に冷静であり正しいものである。主は、一時的な繁栄、美しさ、華やかさなどでは誤魔化されず、主を信じ信頼する人の心をしっかりとらえている。たとえ目の前に、苦難や不安、脅しに直面しても、動揺することはない。恐れることはない。その背後に、必ず、主の御守りがある。 

 

13神に従う人はなつめやしのように茂り レバノンの杉のようにそびえます。 

14主の家に植えられ わたしたちの神の庭に茂ります。 

15白髪になってもなお実を結び 命に溢れ、いきいきとし 

16述べ伝えるでしょう わたしの岩と頼む主は正しい方 御もとには不正がない、と。 

神に従う人は、「なつめやし」のようにあなたに守られ豊かな実を結ぶ。また、「レバノン杉」のようにスクスクとよく育ち、優れた木材のように大切に扱われる。そのために主の家に植えられ主の近くで成長する。主に守られ老人のように、長きにわたりいつまでも生き生きと生き続ける。そして、私は、主は真実で正しい方である、と証し続ける。 

主に繋がっていれば、主から御力、エネルギーを与えられ、衰えることがない。尽きず。枯れない。「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、‥‥ 疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが  主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:28-31 P1125) 

 

おわりに 

人生の最期に「良い人生であった」と感謝し終わること、それが、人の理想、目標である。人は皆、その日に向かって毎日生活しているといえる。どんな人も、人生の終わりの日が必ずやって来る。感謝の心をもって人生が終えられるよう毎日、目標をもって生活したい。それが実現するには、朝ごと、夜ごと、祈り、感謝することである。感謝が言える人とは、小さな、取るに足りないことに「ありがとう」の気持ちが言える。言うなれば謙虚な人になること、そこから感謝の人生が始まる。 

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 

(テサロニケⅠ5:16-18 P379)