ガラテヤの信徒への手紙 1:11-24             2019.5.5
テーマ:私パウロは神の啓示により使徒となった 
 信者にとって、神との縦の関係が信仰の中心である。その縦の関係を基に、隣人(家族、兄弟姉妹・友人等)の横の関係が広がる。それは地上に立つ十字架の姿と同じで、縦棒に横棒が備えられる。使徒パウロには、他の使徒たちと比べ、生前のイエスに会わなかったこと、十二弟子でなかった、この二つのハンディがあった。しかし、復活されたキリストにお目にかかり、回心した。
 このことは、他の使徒にない貴重な体験である。「この福音を人から受けたのでも、教えられたものでもない イエス・キリストの教示によって」(12)とあるように、直接キリストから福音を受けた。これがパウロにとり他の弟子達にない大きな強みであった。
 キリストにお会いする前のパウロは、ユダヤ教に熱心の余り、教会を激しく迫害した。ダマスコの町のクリスチャンを迫害に行く途中、突然、復活のキリストに会い、回心した。律法に熱心なパウロだったからこそ、人が義とされるのは律法でなく信仰だけであるという真理に達することができた。  
 パウロは、アラビアに退き、神の御声をお聞きし、自分がクリスチャンになれたのは、生まれる前からの神の御計画であることを悟る。「血肉に相談するようなことはせず」(16)、神の御霊に導かれるまま、ダマスコからアラビアに出ていった。 
 「それから3年後」(18)とは、回心した後の3年間であり、パウロは、エルサレムにいる使徒たちには会わなかった。それはどういうことだろうか。
 復活したキリストにお会いし、信仰が方向転換したものの、心の中は、まだ、不安がくすぶり、心の整理が必要だった。お会いしたイエスは、本当に復活されたイエスなのか、それとも幻か、今までの自分の生き方は正しかったのか、間違っていたのか…、素朴な疑問がまだ完全には消えなかった。そのために、一人になり、静かな所で祈り、ゆっくり心の整理をしたかった。
 だれにも会わず、ただ神と向き合う3年間は、パウロにとってかけがえのない時であった。この間に、今までの態度は誤りであり、今後、福音を伝えることが自分自身に示された使命である、この確信が与えられダマスコに戻られた。
 パウロは、自分の信仰はイエス・キリストから直接教えられたもので、ペトロなどから教えられたものではないことを宣べられた。だからと言って、ペトロとは敵対関係にあるのでなく、回心してから3年後、エルサレムに行き、12使徒のリーダー格ペトロを訪ねた。そして15日間ペトロのもとに滞在した。それは、今後の伝道活動を考え、キリストにあって一体となり、協力関係を築きたかったためである。 
 パウロは、福音の根本的な内容についてイエスの弟子達から教えられる必要はないものの、イエスの地上での生涯について、イエスと共に生活された弟子たちから、詳しくお聞きし、自分なりのイエス像を心に描いたのであろう。
▢まとめとして
 パウロは回心後の3年間、使徒たちと会わず、徹底して一人で過ごす時間を確保した。この期間、パウロにとりとても大事な時であった。私達も新しい朝のひと時、パウロの回心後の三年間のように、神の真正面に立つ時間を確保し、一日をスタートしたいと思う。